3月16日礼拝メッセージ「神の国は来ていた」

(礼拝メッセージ)マタイNO84 「神の国は来ていた」マタイ17章9~13節 

                        仁井田義政 牧師

弟子達三人は、変貌の山を下りてくる時、イエス様に「山の上で見たことを誰にも言ってはいけない」と言われました。その理由は、弟子達をはじめ民衆の時代認識の欠如と無知にあったのです。それはまたイエス様の十字架への決意でもありました。今日の御言は「あなたがたは今の時代をどのような時代と認識しているか」と迫ってくる御言です。

★ 弟子達は、今までに見たこともないイエス様の輝く姿を山の上で見ました。また1400年頃前のモーセと、850年頃前のエリヤを見たのです。当然、イエス様を見る目も、山を登る時と下る時では全く違っていました。イエス様は「今見たことを誰にも話してはならない」と口止めされました。

★今このことを話したならば、民族主義者達はイエス擁護に回り、イエス様を地上の王として祭り上げることになるだろう。しかし本当の救い主は、人々から捨てられ十字架に付けられなければならない。それはイエス様の決意でした。しかし十字架の死が終わり、三日目の復活の後、その時にこそ大いに変貌山での出来事を話して良いのです。いや神なるキリストを話すべき時なのです。

★弟子達は「救い主の時代が始まる直前に、預言者エリヤが現れると聞きました」と言いました。するとイエス様は「エリヤはすでに来たのです」と言われました。人々がエリヤを迫害し殺してしまったのだとイエス様は言われました。神様が遣わされたエリヤを殺してしまったとなれば、神様への反逆です。そのエリヤとはバプテスマのヨハネのことを言っているのだと、弟子達は初めて気がつきました。私も彼のように人々から迫害され殺されるとイエス様は話されました。人々は、メシヤの新しい時代が既に来ていることを知らなかったのです。

★聖書は私達に「あなたはどうか」と語りかけています。既に救い主イエス様による新しい恵みの時代が始まっています。それなのに「イエスなど私にとって何の関係もない」と感じているならば、バプテスマのヨハネを殺しイエス様を殺した人々と同じ時代認識しか持たない人になってしまうのです。イエス様の恵みと祝福の時代は、人々の知らない間にベツレヘムの馬小屋から始まりました。このことを認識して、キリストの恵みに包まれましょう。

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