(礼拝メッセージ)マタイNO91「ジェントルマンであれ」マタイ19章1~12節 仁井田義政 牧師
イエス様がエルサレムへ向かわれる途中、パリサイ人達はイエス様を「律法破りの不信仰者」というレッテルを貼るために、選りすぐった難しい質問をしてきました。それは悪意に満ちた質問でした。
★その悪意に満ちた質問とは、離婚問題でした。パリサイ人は「何か理由があれば、妻を離別することは律法に適っていますか」と質問しました。質問者は、イエス様が離婚について否定的なことを言うだろうと予想していました。予想通りイエス様から「神が合わされたものを、人が引き離してはならない」と言う言葉を引き出しました。パリサイ人達は、イエスが予定通り罠にはまったのを喜びました。そして「それでは何故モーセは離縁状を渡せと言っているのですか」と問い詰めました。当時モーセの律法は絶対と信じられていたからです。
★当時は男性から離婚を申し渡すのは簡単な事でした。料理の味が薄いとか濃いだけでも離婚の理由となりました。もちろん離婚の裁判等はありませんでした。また女性からの離婚の申し出は絶対に許されませんでした。それと男性は何人でも妻が持てたのです。イエス様は「モーセがそう言ったのは、あなたがた男性が頑なだったからです」と言われました。モーセではなく、神様がどう言われたかの原点に戻ることが大切だと言われたのです。
★イエス様は「男性側から簡単に離婚するのは神の前に罪を犯すのだ」と言われました。当時の男性優位の社会で、男性の気分で離婚するような風習を戒められたのです。人間は最初から神様によって「男女同権」に創造されたのです。それを男性の一方的な理由による離婚は、創造者への反逆なのです。しかしこれは男性への軽々しい離婚の禁止であって、絶対的な離婚の禁止ではありません。信仰への迫害と不貞と暴力は離婚が認められるのです。
★イエス様は律法を盾に、自分達の間違いを正当化しようとして来たパリサイ人達を、律法を超えて撃退したのです。夫婦関係は人間関係において最も素晴らしいものですが、こじれますと最も醜い争いとなります。その時に出てくるのが、律法であり法律です。法とは「水が去る」と書くのです。それは砂漠のような状態です。ですから夫婦の間に律法や法律が顔を出してはなりません。クラーク博士は札幌農学校の校則を否定し「ビー ジェントルマン」と言いました。私達はその言葉のように紳士でありましょう。