(礼拝メッセージ)「神を求める心」エレミヤ29章11~13節 仁井田幸子師
私たちは一人ひとり神様を求めていますが、その求め方はそれぞれ異なります。今日は、聖書の中から個性あふれる人々の求め方を通して学びましょう。
★叫び続けた盲人(マルコ10:46-52) 道端で物乞いをしていた盲人が、イエス様が通られることを知り、「ダビデの子のイエス様、わたしをあわれんでください。」と叫び始め、どんなに大勢の人々にたしなめられても叫び続け、ついにイエス様から目を開けていただくことが出来ました。この盲人は、目は見えなくても、自分に与えられている声を通して求め続け、祝福をいただくことができました。
★言葉によってくいさがった女性(マタイ15:21-28) 娘の病を癒していただきたいと願う異邦人の女性が、必死にイエス様に求めますが、イエス様はきっぱりその求めを断ります。それでもこの女性は諦めることなく、くいさがります。するとイエス様は、「子どもたちのパンをとって小犬に投げてやるのはよくないことです。」と、さらに断り続けます。しかしこの女性は、それでもめげず「主よ。そのとおりです。ただ小犬でも主人の食卓から落ちるパンくずはいただきます。」と、たとえ異邦人でも、少しは神様から祝福を頂けるのではありませんか!と求めます。その求めの強さに、イエス様は感動され娘を癒されました。この女性は、言葉を通して求め続け、祝福をいただくことができました。
★突飛な行動をとった取税人(ルカ19:1-10) ザアカイは取税人のかしらでお金持ちでした。しかしユダヤ人でありながら支配国ローマのために働き、しかも暴利をむさぼっていたため、人々から嫌われていました。イエス様が来られることを知ったザアカイは、ひと目イエス様にお会いしたいとその場に行きましたが、群衆で見ることも出来なかったため、突飛な行動をとります。まさにイエス様が通られる所の木に登ったのです。イエス様はザアカイの心をご存知で、その晩、彼の家に泊まって下さいました。ザアカイは生き方を悔い改め、ユダヤ人としての誇りを取り戻し、救われたのです。ザアカイは行動を通して、祝福をいただくことができました。
★この三人に共通していることは、状況はどうであれ、めげずに一心に祝福を求め続けたということです。私たちは、どうでしょうか。聖書ははっきりと約束しています。「あなたがたが心を尽くしてわたしを求めるなら、わたしを見つけるであろう。」(エレミヤ29:13)