10月11日礼拝「使徒の苦難の道」

第一コリントNO13「使徒の苦難の道」第一コリント4章9~13節 仁井田義政 牧師

使徒達の伝道生涯を見る時に、その生涯の凄まじさに驚かされます。そこには、文字通り命をかけてキリストを伝えた使徒達の歴史があります。また日本の伝道の歴史においてもそうです。第二次世界大戦前に来られた宣教師の中には、戦争が始まっても本国に帰らず、敵国人として差別と迫害の中で伝道した方々もいるのです。八王子基督教会は、1923年関東大震災の年にアメリカから来られたジェシーウエングラー宣教師によって宣教が開始されました。その苦労は大変なものであったと思います。

★パウロを初め使徒達は、この手紙を書いている時代も迫害の真っ只中にありつつ伝道していました。ギリシャの円形競技場の最後の出し物が、死刑囚と猛獣の戦いのように、使徒達も見世物の如くに迫害されたのです。しかしそのような状況の中でも、使徒達はいやいやながら従っているのではありませんでした。神様がそうされたのだと従ったのです。「だから私達はキリストによって愚か者のように扱われることをよしとした」と言うのです。「しかし、あなたがたはキリストによって賢い者になった」とコリントの教会員を皮肉りました。それは、「キリストの使徒さえ選択する」と言って、使徒達を格付けするような傲慢さを揶揄しているのです。「あなたがたは栄誉を持っているが、私達は卑しめられています。」と非難しました。

★ 困難を極めて、キリストを伝える生活をしてきた使徒達は「罵られる時にも慰めの言葉をかけ」るのです。それはイザヤ書53章のイエス様の姿です。コリントの教会も、そのような使徒達の苦労と涙と犠牲の上に誕生したのです。しかしそのことを知らずに、使徒達のある者を素晴らしい人とし、ある者を素晴らしくないという。それは使徒達を判断する立場に自分達を置いて、使徒達を選別する偉い人になってしまっているのだとパウロは激しく非難しています。そうしながらパウロは「キリストに従うとは自己実現ではなく、自己犠牲の使徒的生き方なのだ」と教えています。クリスチャンの本当の生き方は、キリストのためにまた人々のために生きる自己犠牲の道です。イエス様は、「わたしのために、ののしられたり、迫害されたり、また、ありもしないことで悪口雑言を言われたりするとき、あなたがたは幸いです。」(マタイ5:11)と言われました。私達も、イエス様のために人々のために喜んで犠牲を払った使徒達の道を歩きましょう。

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