(牧師コラム) 「根源的な問い」 仁井田義政牧師
今日は年に一度の、コンサート礼拝でシンガー ソング ライターのサムエル氏をゲストとしてお招き致しました。そのために聖書からのメッセージはありません。そのためにいつもはメッセージの内容をこのブログに載せていますが、今日はコラム的なものをもってこのコーナーをお贈りしたいと思います。
★私達人間は「いったい私は何のために生まれてきたのだろう」という根源的な問いを持っています。しかしその答えを見出して生きている人は少ないのではないでしょうか。両親に聞いても教えてくれません。幼稚園をはじめ大学に至るまで「私は何のために生れて来たのか」について教えられる人はいません。人生の先輩である老人達に聞いても教えてくれません。皆、自分のことさえ分からないからです。自然や人間の作ったすべての物を見ても、全ての物に存在する目的があるのに、一番大切なはずの自分の「私は何のために生きるのか」がわからないのです。しかしそれでも大人になれば仕事をしなければなりません。仕事をしないと生きて行くことが出来ないからです。そのために食べるために働なければならないという目先の目的が出来ます。しかし、それが人間の根源的な目的ではないことを誰もが知っているのです。
★それでも朝になれば仕事に行かなければなりません。そうして目先の仕事に追われ、「私は何のために生きるのか」という問いそのものを考えないようにして生きてゆくのです。時々思考上にその問いが湧き上がって来ても、すぐに黙殺し考えないようにするのです。そうしないと苦しくて、空しくて仕方がないのです。やがて老人となり死が近づいてきます。しかし必ず来るその死に対しても、誰も教えてくれません。科学も哲学も医学も「生」についての明確な答えを持っていないからです。
★そのため多くの人は、「生きることの意味」も「死ぬことの意味」も出来るだけ考えないようにして生き続けます。そしてそのままで死が襲い、人生が終わるのです。なんと悲しい、寂しい、空虚な人の一生でしょう。日本全土にはニヒリズムが蔓延しています。多くの人が「生」と「死」について明確な答えを持っていないからです。
しかし、イエス様ほど「私は何のために生きるのか」と「私の死にはどんな意味があるのか」を確信して生きられた方はいません。ですからイエス様は答えを持っておられます。イエス様は人間の根源的な問いに対して答えを持っておられるのです。