10月23日礼拝メッセージ「サタンの策略」

第二コリントNO4サタンの策略1章23節~2章11節   仁井田義政 牧師

パウ39f560e59ffe64ace961247c8592d871ロは、再びコリント教会に行くことをコリント教会に伝えました。しかし直ぐには実行しませんでした。それに対してパウロをよく思わない一部の信徒達が「パウロにはしっかりした考えがない」「パウロは私達の反対を恐れている」等の噂を流したのです。そこでパウロは、「なぜ直ぐに行かなかったのか」の理由を記しました。

★パウロは前の訪問において問題が解決しなかったことを知って、ある者達の不従順に対し怒りを感じました。パウロは確かにすぐに行くことをコリント教会に伝えました。しかしすぐに行くならば、その時には戒規の発令以外にありませんでした。パウロは自分の怒りで戒規の発令をすべきではないことを思い、途中で計画を変更したのです。それは思いやりからでした。

★パウロは第一の手紙を出した後、コリント教会を訪問しました。しかし一人の激しい攻撃に会ったのです。パウロも教会も深く傷つきました。パウロは一時コリントを離れ、「涙ながらに手紙を書いた」(4節)のです。それが「失われた涙の手紙」と言われるものです。パウロは、自分の「溢れる愛を知って」(4節)もらいたかったのです。パウロが教会訪問を伸ばしている間に、教会がその人に対して戒規を執行しました。その人は、そのことによって悔い改めたようです。

★パウロは、私も教会もその人によって傷ついたが「悔い改めたら許してあげなさい。」と記しました。この手紙を書いたのは「許してあげなさい」と言う言葉に、教会が従順であるかどうかを試すためですとも記しました。教会が許すならば、当然わたしもその人を許す。「しかもキリストの御前で許すのである。」と記しました。それは、完全に許して二度と責任を問わず、決して恨まないということでした。(5節~7節)

★パウロが許すのは「あなたがたの為に」許すのですと記しました。つまり教会のために許すのです。サタンは、教会をダメにし弱くしようと策略を巡らすのです。それがサタンの罠なのです。サタンは、キリストの教会が弱くなることを望んで活動しています。それがサタンの策略なのです。それに引っかかってはなりません。むしろ悔い改めた者を許し、強い教会を目指すのです。達もサタンの策略にかかることのないようにしましょう。

 

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10月16日礼拝メッセージ「固い絆の教会」

第二コリント NO3 「固い絆の教会」 1章12~22節 仁井田義政 牧師

398540801_b8bb0de4a8この時、コリント教会の中にパウロに対する新しい不信感が起こっていました。パウロはその批判に答えながら、今日の聖書箇所で教会とは何かという大切な真理にまで言及しました。

★コリント教会のある人達は、あいつの言うことは信用ならない。二枚舌だと非難しました。反パウロ派が、パウロの計画変更を逆手にとって反対の声を上げたのです。パウロにとっては、些細なことでした。しかし教会全体的にとっては、放っておけない重大なことでした。ひとつの腐ったミカンが、箱全体のミカンを腐らせてしまうのです。

★パウロは、計画の変更は人間の考えによるものではなく「神の恵みによるものだ」と記しました。パウロは、いつも神様の導きを行動の規範としていました。パウロにとって、神様の計画通りに行動することが、何にもまして神様の僕べとしての「誇り」だったのです。

★「主イエスの日には互いの誇りとなるようにと望みます。」と記しました。コリント教会の現実は、問題が鬱積する状態でした。しかしパウロは希望を捨てないのです。そして「私達の主イエスの日には、互いを誇りとすることができますように」と望むのでした。理想の教会は、信徒と牧師が互いを誇りに思うことの出来る教会です。その共通の尊敬の基準は、双方がキリストに従って生きるということです。パウロは「私は、否と然りを同時に言うような者ではない」と記しています。「然り」だけを言われる神を信じているからです。

★パウロは問題だらけのコリントの教会を捨てませんでした。それは、一緒にキリストの内に固く保たれた者達だからです。その証拠に、神様は教会に聖霊を注いでくださっているのです。聖霊が注がれれば、それで絶対大丈夫と言うのでもありません。「御霊を消してはならない」と教えられているように、神様に従うことを第一にしないと「御霊」は消えてしまうのです。コリントの教会が正常な教会になることはパウロの願いでした。それと同時にそれは神様の願いなのです。御霊に満たされてキリストの内に「固く結び付けられた者」となり、聖霊による強い教会の絆を作りましょう。

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10月9日礼拝メッセージ「圧倒的な勝利者」

(メッセージ)「圧倒的な勝利者」ローマ8章31~39節 楠 亜紀子師

bible-films-christ-teaching-disciples-1128362-wallpaper今日の御言葉のローマ人への手紙は、パウロがコリントに滞在している時にローマの教会の人々に宛てた手紙です。1章10節からありますように、パウロはローマの教会の人々の信仰が強められることと、自分も彼らの信仰によって励まされたいというお互いの信仰による励ましを求めていました。そこで何とか早くローマに行きたいという思いを持ってこの手紙を書きました。

★「…神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう」(31節)とあります。この当時は信仰を持つことがとても大変で、非難や誤解、また激しい迫害などの敵対するものがありました。しかし神様が味方でいてくださるので、様々な敵対するものからも守ってくださるのです。それでは何故、神様が味方でいて下さると言えるのでしょうか。それは32節に「わたしたちすべてのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方が…」とあるからです。神様は、ひとり子でおられるイエス様を十字架におかけくださるほど私たちを愛して下さいます。その深い愛ゆえに、神様が私たちの味方でいてくださることがわかるのです。

★37節には、私たちは圧倒的な勝利者になるとあります。口語訳聖書では、勝ち得て余りある者と訳されています。現代に生きる私たちは、信仰を持つことによって35節にあるような激しい迫害を受けることはないでしょう。しかし日々の生活の中で、試練や問題に直面することはあるかもしれません。まるでほふられる羊のように身動きが取れないような状況に置かれることもあるかもしれません。しかし私たちはどのような問題の中にあっても、私たちを愛して下さる神様の愛によって圧倒的な勝利者となるのです。

★パウロがどのような試練や悩みの中にあっても、主キリスト・イエスのある神様の愛から離れなかったように、私たちもどのような時にも神様の愛から離れず、いつも神様を見上げて歩みましょう。そして、私は神様の愛により圧倒的な勝利者です!と勝利者意識を持って、神様と共に雄々しく歩みましょう。

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10月2日礼拝メッセージ「苦しみを通して」

第二コリントNO2「苦しみを通して」1章8~11節 仁井田義政 牧師


138088368370500717225_5-1_20131004194804苦しみは誰にとっても嫌なもので、できれば避けたいところです。しかし私達は人生の中で必ず苦しみを体験するのです。苦しみに遭った時に、苦しみの意味が分からないこと程苦しいことはありません。聖書は私達の人生に起こる苦しみには、大切な意味があると教えています。それでは苦しみにはどの様な意味があるのでしょう。パウロの体験から見てみましょう。

★苦しみにも種類がありますが、パウロが体験した苦しみは「非常に激しい苦しみ」でした。命さえも危うくなり、死を覚悟した程でした。もうこの苦しみから救われるのは、ほぼ百パーセント無理と思える状態でした。神様に従い、イエス様の教会を小アジアからヨーロッパにまで作ってきたパウロが、なぜこのような苦しみに遭わなければならないのでしょうか。

★パウロは苦しみの「極限の中」で、人にも自分にも何ものにも頼れない状態の中で、苦しみの意味を見出したのです。それは人間の力には頼ることが出来ないということでした。激しい苦しみに遭う時に、そのどん底で、苦しみが絶望になるか、一筋の希望となって立ち上がれるかは、その所での発見にかかっているのです。パウロがそこで発見したのは「自分自身を頼まず、イエス様を死から甦らせて下さった神様に頼る」と言う生き方でした。

★苦しみの中で「神様を絶対に信頼するという信仰」を得たパウロは、神に頼る信仰により救い出されました。その体験はパウロの信仰の大きな飛躍となり、財産となりました。「今回救い出して下さった神は、将来のいかなる苦難からも救い出して下さる」との確信でした。神様への絶対的信仰は、苦しみと苦難を通して与えられたのです。苦難のどん底にある時、神様を見るか、絶望を見るかで、その人の後の人生まで左右するのです。

★パウロは、コリント教会に自分の為にとりなしの祈りを要請をしました。教会は祈りの交わりでなければなりません。パウロの為のとりなしの祈りは、パウロとその働きに「恵み」となって現れると確信しました。苦しみにさえも意味があるのです。苦しみは私達を強い信仰へと導きます。また苦しみを教会が共有する時、教会はとりなしの祈りの教会へと変わっていきます。私達は苦しみに遭った時、絶望的な自分の状況を見ないで、何でも出来る神様を見ましょう。教会はとりなしの祈りに満ちた所となりましょう。

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9月25日礼拝メッセージ「どのような苦しみの時も」

第二コリントNO1「どのような苦しみの時も」第二コリント1章1~7節 仁井田義政 牧師


パウロは4cfe3f4d8ba854bc8332134b592fd628、コリント教会に様々の問題があったので第一の手紙を書き送りました。しかしそれを読んだ人々が悔い改め正しい信仰に至ったかと言うと、そうは上手くいきませんでした。それどころか、その手紙によってある人々は、あからさまにパウロの指導に反対の意見を強めてきたのです。その反対意見のひとつは、パウロの使徒職に関するものでした。パウロは必要に迫られて、この第二の手紙を書くことになったのです。

★パウロは「神の御心による、キリスト・イエスの使徒パウロ」と属格で記しています。それは、イエス様から選ばれたという事実を客観的に示したのです。牧師であっても、神学校の終了書が召命の客観とは成り得ないのです。「神様に召された」という確信が大切なのです。クリスチャンも同じ「神の御心により、イエス・キリストの僕」と主観的であると同時に、客観的な確信を持たなければその信仰は弱いのです。

★またパウロは、「私達の父なる神と、主イエス・キリストから恵みと平安がありますように」との祝福の言葉を記しました。困難の中にある者に「恵みと平安は」「父なる神から発せられ、主キリスト・イエスを通して来る」のです。人の言葉は究極的な「恵みと平安」をもたらすことにはなりません。私達を愛しておられる神から来るのです。それは、全人類に及ぶ共通の真理です。

★3~7節に「慰め」と言う言葉が9回も記されています。3節に「慰めの神」とあります。私達が「苦しむ時」に、慰めの神は私達を慰めて下さいます。その慰めは「パラクレイトス=助け主」と同じ語が使われています。パウロ自身も、8~9節にあるように「死さえも覚悟する」苦しみを体験しました。しかしパウロは、その苦しみに打ちのめされませんでした。神様からの「慰め」があったからです。その「慰めは同じように、どのような苦しみにあるあなたがたをも慰めることが出来る」と記しました。そのことによって苦しみの中にある者達の苦しみの解決法を指し示すのです。

★クリスチャンは神の慰めから一歩も出てはいけません。そのことによって「どのような苦しみの時にも」動かされない強い信仰のクリスチャンとなることが出来るのです。苦しみに強いクリスチャンになりましよう。

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9月18日礼拝メッセージ「主を愛するクリスチャン」

第一コリントNO48「主を愛するクリスチャン」16章15~24節 仁井田義政 牧師

006-Risen-Christ-950 今日の聖書の箇所は、コリント教会への終わりの挨拶です。エペソにいたパウロの所に、コリント教会の現状を報告しに来てくれたステパナとポルトナトとアカイコのことが記されています。コリント教会のある者達には、この三人がパウロの所に告げ口に行ったと誤解される危険があったのです。そこでパウロは、この三人をそのような目で見たり、裏切り者扱いをしたりすることのないようにと心遣いをしたのです。

★コリントからエペソのパウロの所まで、現状説明に来た三人の中のリーダー格のステパナ。彼は、パウロのアカヤ地方伝道の時に洗礼を受けた人でした。パウロはアカヤの初穂であったと記しています。

★それは単に初期に救われたというだけではありません。それからずっと教会の為に働いた熱心な信徒だったのです。そのような人がリーダーとなってコリント教会の情報をパウロに伝えたのです。

★そのような忠実な人達が、誤解されることがないように「このような人達に服従しなさい」とパウロは記しました。さらに「このような人々の労をねぎらいなさい」と進言するのでした。またパウロと行動を共にしていたアクラとプリスカの挨拶も記しました。この二人は、かつてコリントで天幕作りをしてパウロの伝道を助けた夫婦です。その後パウロと共にコリントを去り、エペソで家の教会を開いたのです。

★次に記されている「主を愛さない者は誰でも呪われよ」とは、当時の教会で定型句のように使われていた言葉と思われます。主に愛されることよりも主を愛することが初代教会の信仰姿勢だったのです。すでにイエス様の十字架によって、充分愛されているからです。もうひとつ記された「主よ、来てください」と言う願いも、初代教会共通の言葉でした。アラム語で「マラナタ」です。それはイエス様の再臨による大勝利への確信でした。

★初代教会には、イエス様の十字架の愛が人々の心を大きく満たしていたのです。だからこそ「主を愛さない者は呪われよ」との認識が共通理解であったのです。私達も愛されることばかりを望む生き方ではなく、神を愛する成人したクリスチャンになりましょう。

 

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9月11日礼拝「力ある教会の秘訣」 

第一コリントNO47 「力ある教会の秘訣」 16章5~14節 仁井田義政 牧師     


akrokorinth_looking_northパウロのコリント教会に送る長い手紙も、筆を置く時が来ました。パウロはコリント教会の訪問計画を書き記し伝えました。今まで見てきたように、初代教会のコリント教会は問題に満ちた教会でした。パウロはコリント教会に「私は必ずコリントに行く」という事を明記し、けん制する必要がありました。それはコリントのある人達が、パウロはもうコリントに来ることはないだろうと言っていたからです。

★それでパウロは「コリント教会に旅の途中でちょっと立ち寄るのではなく」、問題解決の為に乗り込むのだと記しました。でも行くにしてもそれはすぐではなく、今いるエペソの教会にも伝道の可能性が大きく開かれており、解決しなければならない問題もあるからだと記しました。今日の手紙の内容には、パウロの働きの大変さが垣間見られます。しかし今自分が行けない代わりにテモテを遣わすと記しました。テモテは、パウロのもとで伝道に協力していた青年テモテのことです。パウロは「テモテが若いからと言って軽んじてはいけない。丁重に受け入れるように」と記しました。

★コリント教会では、パウロよりもアポロの方が人気がありました。この時、パウロとアポロはエペソの教会に一緒にいたようです。コリント教会で二人への支持が分かれていても、二人はキリストの宣教に仕える「兄弟」として尊敬し合っていました。パウロは、コリント教会のアポロ支持派の要請に従って、アポロにコリントに行くように勧めましたが、アポロはそれを固辞したと記されています。行くことによって、コリントのアポロ派とパウロ派が険悪になるのを避けたのでしよう。パウロは、アポロが今後一切コリントに行かないというのではなく、機会があれば行くでしょうと記しました。

★さらにパウロは、コリント教会に「目を覚ましていなさい。」と強い勧めをしました。これはイエス様の再臨が近い事を意識させる時に用いられた言葉です。キリスト再臨が間近かになると、偽預言者、偽キリスト教が起こるから注意せよというのです。幸いにも、パウロもアポロもペテロも教会の指導者としてひとつになっていました。教会は、ひとつになる時に強くなるのです。私達の教会も御霊によってひとつとなり、力強い教会となりましょう。

 

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9月4日礼拝メッセージ「復活の主にある共同体」

第一コリントNO46「復活の主にある共同体」16章1~4節   仁井田義政 牧師


地図コリントの手紙が書かれていた頃、福音の出発の地となったエルサレム教会の置かれた状況は激変していました。おそらく迫害による経済的な窮乏が起こったのです。その問題に対処するために今日の御言は書かれました。

★すでにガラテヤ地方の諸教会では、エルサレム教会のための献金が行われていました。迫害が厳しくなったため、エルサレム教会のある者達は外国へと散って行ったのでしよう。残されたのは、貧しくて外国に避難する事さえできないクリスチャン達だったろうと思われます。当然、エルサレム教会の信徒達を支える牧師もそこに留まっていたわけです。クリスチャンも牧師も困窮していました。パウロはエルサレム教会の窮状を知って、すでに小アジアのガラテヤ地方の諸教会から献金を集めていたのです。

★パウロがコリント教会に行なった献金の方法は、ガラテヤの諸教会と同じ、週の初めの日曜日の礼拝で集めるものでした。週の初めの日曜日とは、イエス様の復活記念の日です。コリントはギリシャの教会ですが、その教会が遠く離れた同じ復活の主を礼拝しているエルサレム教会の貧しい人々の為に献金をするのです。

★パウロは、エルサレム教会への献金を自分の手柄にしないように、細心の注意を払いました。エルサレム教会を窮状から救って英雄になりたいのでも、エルサレム教会の上に立ちたいのでもありません。ただコリント教会の真心を献金として届けたかったのです。 

★この所は、私達クリスチャンに献金とは何かを教えてくれます。それは強制されてではなく、自由意志ですべきなのです。また、世界のクリスチャンは、主にある共同体であることを教えています。使徒信条の中にも「公同の教会」という言葉がありますが、それに当たるのです。別の言い方をすれば「復活の主にある共同体」です。共同体であるということは「ひとつの体である」と言うことです。ですから体の一部分が痛めば、体全体が痛むのです。私達の教会も、「復活の主にある共同体」の役割を充分果たし得る強い教会とならなければなりません。私達はさらに成長し「復活の主にある共同体」として、他の教会を助けられる力強い教会になりましょう。

 

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8月28日礼拝メッセージ「見よ、死は勝利にのまれた」

第一コリントNO45「見よ、死は勝利にのまれた」15章50~58節                                  仁井田義政 牧師

jesus-coming-out-of-the-tomb コリント第一の手紙のメッセージは、ついに結論の中の結論に入りました。今日の御言は、これから記すことがどれほど大切なことかを示す言葉で始まっています。私達も心を整えて、しっかりと今日の御言を聞きましよう。 

★「兄弟達よ、私はこのことを言っておきます」と、これから記すことがいかに重要であるかを示しています。また、51節の「聞きなさい」も、同じく重要なことへ注意を促す言葉です。聞きなさいは、ギリシャ語の意味では「見なさい」です。何を聞き、何を見るのかと言うと「神様の奥義」です。神様がなされる死者の復活の事実です。奥義はギリシャ語の「ムステリオン」で、ベールに包まれて普通の人には見えないものを指す言葉です。このギリシャ語の「ムステリオン」から、英語の「ミステリー」と言う言葉が生まれました。人間の側がどんなに努力しても、絶対に神様の奥義を見ることは出来ません。しかし神様は、イエス様を信じる者にその「奥義」を見せて下さるのです。神様は、その奥義というカーテンを開けて下さいました。それによって、「死者は眠るのではなく、一瞬にして新しい霊的な体に変えられる」ということがはっきりとわかったのです。                    

★イエス様は、歴史を通して人類を恐怖に落とし込んでいた人類最大の敵である死に、敗北を与えられました。パウロは、歓喜の言葉を「死は勝利にのまれたのである」と記しました。それはイザヤ書25章8節の成就でした。人類をその棘で刺し続け苦しめ悩ませてきた死は、完全に毒針を抜かれたのです。死の毒針を抜いて下さったのはイエス・キリストです。イエス様の復活が、私達の復活の揺るがない希望となったのです。

★イエス様は、奥義のカーテンを開けて見せて下さいました。それは「私達の死に対する勝利」でした。その事実の上に、私達は生きる意味と勇気を得るのです。「死は勝利にのまれた」のです。イエス様は、私達を勝利者として下さいました。私達には永遠の命が与えられているのです。もう死後のことで思い悩むことはありません。ですからこの世においては、イエス様の為に献身的な生き方をしましょう。

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創立40周年記念礼拝「宝が土の器の中にある」8月21日

創立40周年記念礼拝「宝が土の器の中にある」第二コリント4章7節 仁井田義政 牧師

P1030379 溝の口キリスト教会は1975年4月に産声を上げました。それから40年、双葉のか弱い芽から、40年間の年輪を刻み、現在の教会へと成長できました。そして今日の午後は感謝会が行なわれます。今日の創立40周年記念礼拝にふさわしい御言をと祈っていましたところ、第二コリント4章7節を与えられましたので、そこから祝福のメッセージをお話しいたします。

★まず、パウロは「私達は土の器」だと言っています。そう言うには訳がありました。コリント教会のある者は、パウロを伝道者にふさわしくないと批判していたからです。私達は、相応しいから伝道者や牧師や信徒に選ばれたのではありません。パウロがはっきりと第二コリント4章1節で言っているように「神のあわれみによって任じられた」のです。

★パウロは「私達は土の器なのです」と、信徒達をその考えに引き込んでいます。しかしパウロは、以前から自分が不完全な土の器だとは考えてはいませんでした。彼は「私は、律法による義ならば落ち度がない者」(ピリピ4~6節)と言っています。しかしそれらは役に立たないと記しているのです。そしてパウロが到達したのは、「私達は土の器である」との自己理解に達していたのです。「土の器である」ことに自分のアイデンテティを見つけたのです。

★土の器は、貧しい者の器のことです。土の器は、自分を誇ることができないのです。しかしその貧しい土の器の中に、神様は宝を入れて下さったのです。土の器は自分を誇ることは決して出来ませんが、その中に入れられた宝を誇ることは出来ます。どんなに宝を誇っても、誇り過ぎることはありません。自分を誇ることではないからです。

★溝の口キリスト教会は、牧師をはじめ皆、土の器です。パウロでさえも「私達はこの宝を土の器に入れているのです。」と言っているのですから、異論はないと思います。でもその不完全な土の器だからこそ、素晴らしいのです。私達の教会から発せられる全ての良きものは、私達から出たものではなく、私達の内におられる素晴らしい神様から出ていることが明らかになるからです。土の器の集まり、溝の口キリスト教会、万歳!!

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