エペソ人への手紙(N0.15)「御霊による一致」4章1~6節
今日の御言には、クリスチャン倫理道徳について記されています。クリスチャン倫理道徳は、学んだから実行できるというものではありません。祈りによって、はじめて実行できるものです。今日のクリスチャン倫理道徳の教えは、皆がひとつとなると言うことです。
★パウロは、「主の囚人である私は」と述べています。確かにパウロはこの手紙を書いた時、ローマに囚人となっていました。しかし単なる囚人ではなく「主の囚人」と記されていることを見逃してはなりません。主の為の囚人という意味です。
★そのパウロは、「召されたあなたがたは、その召しにふさわしく歩みなさい」と記しました。パウロは、私は召された者として、キリストの為に牢獄に至るまでも召しにふさわしく生きて来ました。そのようにあなたがたも、召しにふさわしく生きなさいと教えているのです。それと同時に、クリスチャンになった時の「今の生活」にふさわしく歩みなさいとも教えています。クリスチャンになった人の中には、奴隷も主人も金持ちも貧しい人もいました。それぞれの生活の状況が違っても、その召しは「ひとつになることです」と教えているのです。
★そのためには、「柔和と寛容の限りを示し、御霊の一致を熱心に保ちなさい」と教えました。私達は、それがなかなかできないのです。ですから「謙遜と柔和の限りを尽くそう」との強い決心が必要なのです。何のためにそれが必要なのでしょうか。キリストが、教会はひとつになるように願っておられるからです。小手先ではなく、「御霊による一致を熱心に求める」のです。
★パウロは4~6節ので、神様と神様が定められた聖礼典はひとつであることを記しました。聖礼典は、ギリシャ語の「奥義=ムステリオン」を用いました。それは、神様の見えない恵みを見える形にして執行するからです。私達は、コロナの為に聖餐式が長い間出来ておりません。感染の危険があるからです。会堂において賛美し、御言を聞き、一緒に祈ると言うことも出来ておりません。ですが、今日の御言にあるひとつになることをおろそかにしてはなりません。このような状況を嘆くだけではなく、祈りましょう。御霊によって祈りましょう。謙遜、柔和、寛容、愛を持って互いに忍び合い、信仰をひとつにしましょう。今日の御言にあるように、「御霊による一致を熱心に」祈り求める人になりましょう。