(礼拝メッセージ)「人々の恐れの中に立つイエス」マルコ14章43~52節
仁井田義政牧師
今日の御言は、イエス様が逮捕されるところです。ユダは既にイスラエルの指導者たちや、ローマの兵隊たちと厳密な打ち合わせをしていました。人間の行動は、常に恐れが動機となり得ます。ゲッセマネの園にも、人間の様々な恐れが渦巻いています。しかしイエス様には、全く恐がありませんでした。その偉大なお姿を、今日の御言で見ていきましょう。
★なぜイエス様を捕えるために、剣やこん棒を持って来たのでしょう。イエス様が怖かったからです。暗闇でイエス様を捕らえ損ないでもしたらどうなるかとユダも怖かったでしょう。兵士達にイエス様が確実にわかるように、「わたしが接吻する人がイエスだから、その人を捕らえよ」と打ち合わせをしていました。イエス様の弟子達も先ほどまで眠かったのに、ペテロは眠気から覚め戦闘モードに入り、兵士に剣で切りかかりました。ペテロも怖かったのです。また亜麻布一枚まとった青年が丸裸で逃げて行ったことが、今日の聖書の箇所に出ています。怖かったからです。
★祭司長・律法学者・長老達も、イエス様に自由に行動されることを恐れました。だから暴力によってでもイエス様の言動を封じようとしたのです。ローマ皇帝も、その支配地域でイエス様と弟子達が暴動を起こす可能性のあることが怖かったのです。だから軍を用いてでもイエス様を逮捕したのです。弟子達は弟子達で、イエス様とこれ以上一緒にいると自分達の身に危険が及ぶことを恐れました。彼らも逮捕されたなら拷問と死が待っていることが怖かったのです。だから逃げたのです。
★しかしイエス様だけ恐れませんでした。ペテロが切りかかって切り落とした兵士の耳を、奇跡的な御力で元通りに治してあげました。また自分の弟子に、暴力を振るうことを許しませんでした。イエス様は御自分の死で、聖書の言葉が実現すると確信しておられたのです。
★人々の目には、イエス様は自分を「神の子キリスト」と言いながら、自分の命を守る力さえない人のように見えました。弟子達もそうです。だからみんなイエス様を捨てて逃げたのです。人々の心の中には、それぞれの立場で恐れが存在していました。その恐れが、一人の人の殺害にまで向かってしまったのです。イエス様の恐れない姿をゲッセマネの園で見ることのできる人は幸いです。イエス様は偉大な神の御子です。迷いも恐れもない真実な救い主なるキリストです。そのイエス様をしっかりと信じましょう。








