8月5日礼拝メッセージ「向かい風」

(マルコNO33) 「向かい風」6章45~52節

                        仁井田義政 牧師

 イエス様は、弟子達を「強いて舟に乗り込ませ」ました。そしてご自分はその地に残り、群衆を解散させていました。「強いて」という言葉から、弟子達はイエス様と一緒にいたかったのだと思います。弟子たちは「強いて」乗り込まされた舟で嵐に遭い、命の危険にあうことになってしまったのです。イエス様は、なぜ「強いて」弟子達だけで舟を出させたのでしょう。

★弟子達は、夕方から午前3時まで向かい風で悩んでいました。約10時間も舟の上で、もまれ続けていたのです。イエス様は、弟子達の舟が波でもまれているのを山の上で祈りながら見ておられました。しかし弟子達からは、そのイエス様が見えませんでした。前の嵐の時(4:35)は、イエス様が眠っておられたとは言え、舟におられました。そのために弟子達は、眠っておられたイエス様を起こして頼れたのです。しかし今度は、イエス様が舟におられないのです。弟子達の困難な時に、イエス様がおられない状況でした。

★これは、弟子達へのイエス様による信仰のテストであったと見ても良いと思います。パンの奇跡も、ピリポへの信仰の抜き打ちテストであったとヨハネは6章6節に記しています。あと1~2年でイエス様は弟子達の目には見えなくなるのです。その中で弟子達は人生の嵐に遭うことがあるのです。主が見えない不安に陥る可能性があるのです。これは、私達の誰もが陥る不信仰という危険です。しかしイエス様は、私達から決して目を離してはおられません。闇の深い「夜中の3時頃」私たちの所に来て下さるのです。

★イエス様が弟子達の舟に近づいて来られた時、それを見た弟子達は「幽霊だ」と怯えました。イエス様が来られるはずがないと思い込んでいたからです。怯える者には、イエス様が救いに来られてもわからないのです。イエス様をさえ、自分に危害を加える者と思ってしまうのです。イエス様は、そこを「通り過ぎよう」とのおつもりであったと記されています。まさにテストです。そのテストの結果、弟子達は0点でした。 

★私達も、人生の向かい風を体験することがあります。そのような時に「イエス様は、私がこんなに苦しんでいるのに何もしてくれない、イエス様は私の苦しみの世界にはおられない」と思ってしまうのです。しかしクリスチャンは、苦難の時にこそ、信仰のテストであると知りましょう。その嵐の海で、湖の上を歩いて来られる異次元のイエス様を知るのです。

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