5月20日礼拝メッセージ「地の塩、世の光」マタイ5章13~16節

(礼拝メッセージ)地の塩、世の光マタイ5章13~16節

  特別講師 (タンザニヤ タボラ大司教区) アレックス・ンドワヨ 神父

 古代の聖書世界では、塩は高価なものでした。塩は食べ物に風味をつけ、また重要な保存料として用いられました。また、塩は人に渇きを覚えさせるものでもあります。イエス様は弟子たちがその教えを伝えることによって塩のように、世に豊かな風味をもたらし、イエス様が明かした真実を保ち続け、世界が真実を渇き求めることを望んでおられました。旧約聖書ではまた、塩の契約についても語られています。塩の契約が意味するものは永遠に続く関係性です。

★マルコは福音書の中で「塩に塩けがなくなる」という例えを用いました。イエス様の時代は、塩は私たちの知るように精製されるのではなく、死海のほとりで、塩分を含む湖の水が蒸発したあとの堆積物から採取して使っていました。この塩は分解されて塩けをなくすことがありました。このようなもろい塩は、イエスに従う者としての行いが、適切に教えを正しく活かし続けようと心がけなければ、クリスチャンとしての行いが、時とともに力を失いかねないということを示す良いたとえになります。味気のないものに風味を与え、悪くなってしまうものを保ち、神との完全な契約と誠実に神に従う心を表す。それこそがイエス様に従う者の姿なのです。

★この地上というかまどの中で塩の役割を果たすとは、そのかまどの火をあなたの中にもやし、周りのものに愛の火をともすこと、そしてその光を明るいままに燃やし続けるということです。私たちがキリストに従う者としてこれを行えば、私たちもまた、「世の光」となります。ここに、私たちは、塩と光という二つのイメージが見事に重なるのを見るのです。

★私たちは世の中で、多くの不公平、冷たい戦争、自己中心性、困難の中にある人への無関心さを目にします。私たちは、平和をもたらし、世界中で互いに愛し合い、犠牲を払い、自分を後回しにし、協力し合い、深く理解しあうように、神様から求められています。この求めは、イエス様の祈りの中に見出される一致の心と深く繋がっています。一つになることによって、私たちは互いに愛しあうようになります。愛することなしに、光となることはできません。一つになること、それは神を知り、愛するために必要なことです。イエス様は世の光です。イエス様に従うことで、私たちも世の光となることができるのです。

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