3月4日礼拝 マルコNO19「神の家族」

(礼拝メッセージ)マルコNO19「神の家族」3章31~35節 

                         仁井田義政 牧師

 イエス様の活動は、あまりにも革新的でした。その結果ユダヤ教の当局者にとがめられ、「彼は悪霊につかれている」という噂を流されたのです。そのためイエス様の家族が、ナザレの村から連れ戻しにきました。そのことを知ってイエス様は、「神の家族」について重要な話をされました。

★イエス様の家族が連れ戻しに来た時、イエス様のおられた家には大勢の人達が「イエスを囲んで座って」いました。「座って聞く」ことは、当時の正式な聞く者の姿勢でした。しかしイエス様の家族は「外に立って」イエス様を自分の所に呼び寄せようとしていました。家に入って行こうとはしなかったのです。

★弟子のひとりが、「あなたのお母さんが、外に来ています」とイエス様に伝えました。当時の社会は、血のつながりが全てに優先しました。しかしイエス様は「私の母とは誰のことですか。また、私の兄弟とは誰のことですか」と答えられ、そして「群衆を見回して、神の御心を行なう人は、誰でも私の兄弟、私の母なのです」と言われたのです。この言葉は家族にとっても、聞いていた群衆にとっても、ショッキングな言葉でした。ですから、この言葉が聖書の中に残っているのです。

★それではイエス様は、家族を無視されたのでしょうか。そのようなことはありません。イエス様は十字架に着かれた時、その苦しみの中で五十歳くらいの母親を弟子のヨハネに託しています。ほかの兄弟も、イエス様が十字架に着かれ三日目に甦られた後、エルサレム教会の初代牧師となっています。「主の兄弟ヤコブ」がその人です。

★イエス様が「神の御心を行なう者が私の家族なのである」と言われた言葉の上に、教会は立っています。教会で男性を「兄弟」と言い、女性を「姉妹」呼ぶのは、神の家族だからです。今日は聖餐式があります。神の家族は、イエス様を中心に食事を共にするのです。欠けたことの多い群衆を見回し、「神の御心を行なうものは誰であっても、私の家族なのです」と言われたイエス様の言葉を噛みしめながら、神の家族の絆を確かめる聖餐式をうやうやしく頂こうではありませんか。私達は神の家族です。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

Spam Protection by WP-SpamFree