2017年12月24日 クリスマス礼拝「神が共におられます」

2017年クリスマス礼拝「神が共におられます」マタイ1章18~23節

                                                                                  仁井田義政 牧師

  皆さん、クリスマスおめでとうございます。今日の御言には、クリスマスがなぜ私達にとっておめでたいのかが記されています。

★まずその理由は、私達を罪から救ってくださる方の誕生ですと記されています。「罪」と言いますと、刑法に触れる犯罪のことだと誤解してしまうことが多いです。しかし聖書によると、それは罪の結果であって罪そのものではないことがわかります。聖書はもっと根源的な意味で「罪」という言葉を用いています。聖書で言う「罪」とは、関係の断絶のことです。どのような関係の断絶かと言いますと「神様との関係の断絶」なのです。

★人間は神様によって造られたものですから、本来は神様と一緒に生きていくのが自然でした。聖書の全てを二行くらいにまとめるならば「神様から離れた人間の悲惨と、その人間を救いに来て下さったイエス様」と言うことが出来るでしょう。神様との関係について言えば「人間と神様は、はじめ愛で繋がっていた」のですが壊れてしまい、そのためにボタンのかけ違いのように全てがずれてしまったのです。そして人間には、孤独、自分を大切に思えない、人を愛せない、犯罪等が入って来たのです。

★イエス様は、人間と神との関係修復の為に来て下さったのです。そのために「その名をイエスとつけなさい。御自分の民をその罪から救ってくださる方です」(21節)と記されています。イエス様の名前にその意味が込められています。当時使われていたアラム語で「イェーシュア」ですが、それは「神は救う」という意味です。道に迷ってどちらの方向に行ったら良いか不安な時に、道案内の人がそばに来てくれたら不安から救われます。イエス様は私達の所に、道案内に来て下さったのです。

★旅人は知らないところでよく迷います。知らない所で迷う時、不安で周りの美しさを楽しむ余裕すらありません。そのような時、その土地の人が「目的地まで私が送ってあげましょう。」と言うことがあります。そうすると旅人の心から一切の不安が消え去り、旅人は周りの景色の美しさを楽しむ余裕まで出て来るのです。イエス様は私達の人生の道案内です。いつも一緒に旅をして下さるのです。そのために私達は初めて人生の旅を楽しむ余裕が出て来るのです。私達を罪から救うために来て下さったイエス様に心から感謝しましょう。

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