10月29日礼拝メッセージ「主の心が激しく痛んだ」

(礼拝メッセージ)マルコNO9主の心が激しく痛んだ1章40~45節

仁井田義政 牧師

 今日の聖書の背景も、町の外の寂しい所です。しかしそこに町から追い出された人がいました。「重い皮膚病」に侵され人です。その人は「神からも人からも捨てられた人」と言われ、自分でもそう思って疑わない人でした。当時の人々は、この病気の人に触れられると汚れると思い、逃げました。そのような人とイエス様が出会ったのです。

★その人は「お心ひとつで私を清くしていただけます」とイエスの前にひざまずきました。その病にかかった人は、人前に出て来ること自体が許されない時代でした。病気を隠してそっと去るか、隠しきれなければ「私は、汚れた者です。私から離れて下さい」と叫ばなければなりませんでした。しかし彼はイエス様の前にひざまずきました。彼の「お心ひとつで・・」という言葉は、確信と謙虚さに満ちています。

★イエス様は「深くあわれんで」、「手を伸ばして彼に触って」、「私の心だ、清くなれ」と言われ癒されました。「深く憐れんで」は、内臓が痛むという意味の強い言葉です。それと当時に「激しく憤って」という意味もあります。憤りは怒りのことです。イエス様は誰に怒られたのでしょうか。病人にでしょうか。そうではありません。彼を人間社会から荒野に追い出してしまった者達に憤りを感じられたのです。彼に対して、人々は手を引っ込めたのです。そして病人も手を差し出せない状況にされてしまっていたのです。その彼にイエス様は「手を差し出して」触れられたのです。イエス様は病気に対する差別であれ、どんな差別であれ、憤られるのです。

★イエス様は彼に「祭司に重い皮膚病が治ったとだけ伝えよ。私の癒しを誰にも言ってはならない」と厳しく戒めました。病気の癒しの為にだけ祈る呪術者、シャーマンと受け取られることを嫌ったのです。「祭司に見せなさい」と言われたのは、癒しの証明は祭司だけが出せたからです。それは彼が社会復帰をするために必要なことでした。しかし彼は、イエスによる病の癒しを言い広めてしまいました。その結果、イエス様は町に入れなくなってしまったのです。

★イエス様は、その人の苦しみを見て、激しくあわれみの心を現され、その人に手を伸ばされたのです。イエス様は、私達の願いを「内臓が痛むほどに」心配して下さいます。そして救って下さいます。あなたを誰よりも愛して下さっているイエス様を信じる者になりましょう。

 

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