10月22日礼拝メッセージ「群衆を残して」1章35~39節

(礼拝メッセージ)マルコNO8「群衆を残して」1章35~39節

                       仁井田義政 牧師

 カペナウムの町でのイエス様の伝道は大成功でした。しかし、イエス様は朝早く祈り、弟子達を連れてその町を出て行ってしまわれたのです。それはキリストの不思議あり、奥義です。奥義はミステリーです。ミステリーであればこそ、聖霊によって見せて頂く以外に方法はないのです。そしてこの奥義を知ったならば、私達もそのように生きることが大切なのです。

★前日、カペナウムにあったペテロの姑の家に、多くの人々がキリストを求めて押し寄せて来ました。イエス様が伝道を開始してすぐの大成功です。病を癒すイエス様の名声がカペナウム中に広まりました。しかしイエス様は早朝の祈りの中で、その大成功にご自分の使命の危険を感じたのです。

★朝、弟子達はイエス様がおられないことに気付き「イエスを追って来て、彼をみつけ」(36-37節)と記されています。それは「懸命に後を追い、捜し歩いて見つけた」という意味なのです。弟子達は、昨日の祈り残された群衆が来ていることを伝え「みんながあなたを探しております」と言いますと、イエス様は「さあ、別の近くの村里へ行こう」と言われました。イエス様は明らかに「癒し」のみを求める群衆を嫌ったのです。

★イエス様は「さあ別の村里に行こう、そこにも福音を知らせよう。わたしはそのために出てきたのだから」(38節)と弟子達に言いました。福音とは何でしょうか。それは神様との関係を正しくすることです。その関係の為には「悔い改め」が必要なのです。イエス様は、人気を得て拍手喝采を受ける為に来られたのではないのです。福音を伝えるためです。イエス様はカペナウムの町の「癒し」のみを求める大群衆よりも、村里の少数の福音を求める人を選ばれたのです。

★誰でも派手なことに心引かれる部分があります。一人二人よりも大衆からの喝采を求める傾向があります。イエス様が早朝の祈りの中で、はっきりと決意されたこと、それはこのカペナウムの大衆を置き去りにすることでした。癒しのみを求めてはなりません。癒しのみを求める人をイエス様は置き去りにされます。神様の完成して下さった福音を信じ、神の国に入れて頂きましょう。そうすれば病も癒されるのです。イエス様は福音を伝える為に来られたのです。イエス様を正しく信じましょう。イエス様は群衆の拍手喝采よりも、あなたの正しい信仰を喜ばれるのです。

 

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