2月26日礼拝メッセージ「これも神の恵みなのです」

第二コリントNO17「これも神の恵みなのです」8章1~5節

                                                                 仁井田義政 牧師

e117cdb3bd56d3e68dab004fb36e200e今まで話してきましたコリント教会にあった異端問題、指導者問題、性的な悪習慣の問題、使徒パウロに対しての根も葉もない悪評、それらのことが一応収束したのです。「コリント教会が正しい信仰に戻りつつある」ことをテトスから聞き、パウロはコリント教会の信徒達を再度「全幅の信頼を寄せることができるのを喜んだ」(7:16)のでした。そして全幅の信頼がなければ話せない「神の恵み」について記し始めました。

★その神の恵みは、既にマケドニアの諸教会で行なわれていました。マケドニア地方には、ピリピ教会、テサロニケ教会、ベレヤ教会がありました。その教会に、エルサレム教会の窮状が伝えられたのです。すると彼らも大変な試練と苦しみの中にありながら、エルサレム教会への献金を開始したのです。

★その献金は、パウロに勧められて始まったのではありません。「彼らは自ら進んで・・・ささげた」(8:3)のです。「聖徒たちを支える交わりの恵みにあずかりたいと熱心に私達に願ったのです」(8:4)とあります。「ぜひ私達にもエルサレムの聖徒たちの為に献金させて欲しい、私達もその恵みに預かりたい」とすすんで献金したのです。

★なぜ、そのような献金が出来たのでしょうか。それはまず「自分自身を主に捧げていた」(8:5)からです。イエス様が自分の為に命を捧げて下さったことを信じ、感謝するクリスチャンだったからです。コリント教会は、マケドニア教会とは比べものにならないほど豊かでした。たとえ豊かな人であっても、献金は、主に自分を捧げきっていない人には出来ないことなのです。 

★献金を今日の御言は「恵み」と言っています。献金を「恵み」と取るか、「負担」と取るかは、その人の信仰姿勢にかかっています。ですから献金の勧めには非常に微妙な問題をはらみます。しかしパウロはコリント教会の信徒達への「全幅の信頼を寄せ」(7:16)勧めました。私も皆さんへの全幅の信頼を寄せて「献金は負担なのではなく、神様からの恵みなのです。」とお勧めします。マケドニアの諸教会のように自ら進んで捧げましょう。献金することは、神様からの恵みのひとつです。自ら願って献金の出来る人になりましょう。

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