8月26日礼拝メッセージ「人を汚すもの」

(マルコNO36)「人を汚すもの」7章14節~23節

                        仁井田義政 牧師

 マルコ7章全体を通して語られているテーマは「汚れ」です。律法学者やパリサイ人は、イエス様の弟子達が「手を洗わなかった」と批判していながら、自分達はもっと大きな汚れと罪を神様の前に犯しているという偽善をイエス様に責められました。

★イエス様は、そこにいた弟子達とエルサレムから来た律法学者とパリサイ人に加えて群衆を呼び寄せられました。ここでの「呼ぶ」とは、大きな声を張り上げることです。群衆を呼んだのは、全ての人に知って欲しいことがあったからです。イエス様は「人の外側から入って人を汚すものなど何もない。人から出ていくものが人を汚すのである」と教えられました。

★弟子達は、イエス様のこの教えを聞いても理解できませんでした。イエス様は弟子達に「私の言うことを聞いて悟るようになりなさい」と話し「私の言葉で人間の言い伝えなどから解放されなさい」と話されました。それでも弟子達は理解できずに、群衆が去ってから「今の話はどんな意味ですか」とイエス様に質問しました。するとイエス様は、「あなたがたもそんなに鈍いのですか」と驚きました。

★理解しない弟子達に、イエス様は「体内に取り入れる食べ物は、人の体を害することがあっても、人の心まで汚すことはない。むしろ人の中から出て来る悪い考えが、人を汚すのである」と話されました。外側のことでなく、内側から出て行く汚れが人々に悪影響を与え、人々を不幸にするのですと教えられました。

★この汚れについての話は、弟子の一人が手を洗わないで食事をしたことに端を発したものです。自分の内にある汚れこそ、人々にまで悪影響を与え、その人を汚し駄目にしてしまうので、その事をしっかりと知って、聖い生活をするようにと教えられたのです。先週の御言と合わせて読むと、汚れは人の外から入るのではなく、内側から外に出て周りの人にまで影響を与えるのです。なぜ心の内側が汚れに満ちてしまうのでしょうか。イエス様は「神のことばを空文にしているからです」(7:13)と言われました。空文とは「無いものとしている」ことです。つまり聖書の御言を軽んじるところから、心が腐って来るのです。自分の汚れを人のせいにしてはいけません。私達は悪の影響を与える者ではなく、聖書の御言をしっかりと実践し、人々に良い影響を与える人となりましょう。

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