11月19日礼拝メッセージ「なぜ理屈を言っているのか」

(礼拝メッセージ)マルコNO11「なぜ理屈を言っているのか」2章6~11節

                       仁井田義政 牧師

 今日のメッセージの箇所は、ガリラヤのカペナウム町で起こったことの続きです。それは屋根を剥いで病人を吊り下ろしたという事件でした。そこにいた律法学者が、イエス様の言葉に疑問を持ちました。それはイエス様が「中風の人に、子よ、あなたの罪は赦されました」と言われたからです。そのことになぜ疑問を持ったのでしょう。

★律法学者は、聖書を全部暗記しているような人達でした。彼らも、イエス様は病人を癒すだろうと期待していました。しかしイエス様は罪の悔い改めの話をし、罪の赦し宣言をされましたが、癒しを行なわなかったのです。彼らはイエス様の「罪の赦しの宣言」に躓きました。「神は人を用いて癒しはするだろうが、罪の赦しは神のみにしかできない。イエスは人間なのに思い上がって罪の赦しまで宣言した。許しがたい」と心の中で呟いたのです。イエス様は、その呟きを見抜かれました。

★イエス様が「罪の赦しの宣言」をされたからといって、この人の罪が病気にしたと言っているのではありません。全ての人が罪人なのです。ですから律法学者も私達も罪人なのです。本当は病よりも罪の方が深刻なのです。ですから屋根を破ってまでも入って来たその人に、イエス様は罪の赦しを宣言されたのです。

★律法学者達は、優れたマジシャンを見に来る人達のように、イエス様の奇跡を見に来たのです。しかしイエス様は、誰も見ることが出来ない「罪の赦し」を宣言されたのです。律法学者達は、「罪の赦しの宣言など律法に触れることを無視さえすれば誰にでも出来る。しかし癒しは見えるので嘘はつけない。だから癒しの方が難しい」と思ったのです。

★中風の人は、屋根を裂いてイエス様の所に来ました。イエス様は、この人や私達に会うために、天を裂いて来られたのです。「人の子」(ダニエル7:13-14)「永遠の主権者」のことです。まず罪を赦す力があるから病も癒すことが出来る。病を癒す力があるから罪を赦すことが出来るのではありません。そこを間違うと、同じようで全く違う信仰となってしまうのです。最高のイエス様の御力は、罪の赦しの中に示されます。それが最高の奇跡なのです。私達は律法学者達のように理屈を言う者とならず、イエス様の罪の赦しと救いを信じる者となりましょう。

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