9月24日礼拝メッセージ「イエス様が呼んでおられる」

(礼拝メッセージ)マルコNO5「イエス様が呼んでおられる」1章16~20節

                          仁井田義政牧師

  今日の聖書の箇所は、イエス様がガリラヤに来られてから数日~数週間は経っていたと思われます。その間にもイエス様は、幾度か人々を前に「神の福音」を話されたでしょう。実はガリラヤの漁師達とは少なくとも一ヶ月ちょっと前に、洗礼者ヨハネの活動していた荒野でイエス様と会っています。おそらくガリラヤの漁師達はエルサレムの神殿に巡礼に行っていたのでしょう。洗礼者ヨハネがイエス様が自分の方に歩いてこられるのを見て「見よ神の子羊」と行った時「洗礼者ヨハネの弟子がそのイエス様についていった」と記されているのが漁師たちなのです。イエス様の泊まっておられるところについて行ってイエス様から直接話を聞いているのです。その事はヨハネの福音書1章35節以降に記されています。ですからペテロもヨハネもガリラヤ湖の岸辺で、夕方イエス様に声を掛けられる前にイエス様の事を知っていたのです。それで再度イエス様に声をかけられ、その声に4人の漁師たちが即座にイエス様の弟子となって、イエス様について行ったということになるのです。

★シモンの家は代々の漁師でした。宗教などとは程遠い生活をしていたのです。しかも彼らは「異邦人のガリラヤ」と差別された地域に住んでいました。当時、宗教家が名を挙げたければ首都エルサレムに行くのが常でした。しかしイエス様は、エルサレムからガリラヤに来られたのです。

★イエス様は御自分の弟子を選ぶにあたって、漁師に声をかけられました。当時の漁師は、何の学問もなかった人々です。そのような人々を自分の弟子にするために呼び掛ける宗教家などいなかったはずです。そのハンディを無視して、漁師に呼びかけられたイエス様に驚いたことでしょう。しかも能力が有るかどうかではなく、「私が人間をとる漁師にしてあげよう」と言われたのです。

★私達が、イエス様に用いられるかどうかは、イエス様の招きに従うかどうかだけなのです。シモン(ペテロ)とその兄弟アンデレは、イエス様の招きにすぐに従って弟子となりました。漁師という家業はどうなるのか等と心配せずに、一切を神様に委ねてイエス様の招きに従ったのです。他の漁師ヤコブとヨハネも同じでした。当時の宗教家の弟子達と比べれば、ガリラヤ湖に漂うゴミのように見えた者達が、イエス様の弟子として選ばれたのです。

★イエス様は、今も牧師や伝道者や宣教師になる人を求めておられます。また教会での奉仕者としても献身的に働く人を求めておられます。能力が有るかどうかではありません。「私に従ってきなさい」という言葉に従順に従うかどうかが大切なのです。イエス様が「私が人間をとる漁師にしてあげよう」と言われたように、従う者にはその能力をも備えて下さるのです。牧師や伝道者に召される人も同じです。イエス様が人間をとる漁師にして下さるのです。イエス様にお仕えする人になる為に、今日はっきりと献身しましょう。

 

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