7月23日礼拝メッセージ「真の使徒のしるし」

第二コリントNO31「真の使徒のしるし」 12章11~13節 

                        仁井田義政 牧師 

 パウロは、偽教師達に「パウロは使徒などではない」と反対されました。その偽教師達の狙いは、パウロからコリント教会を奪い取ることでした。パウロはコリント教会を偽教師達の毒牙から救い出すために、愚かなことと知りつつも自分を誇って見せざるを得なかったのです。

★パウロは、自慢話が神様の御前に愚かなことと知りつつもそうせざるを得ず、コリント教会の人達に「あなたがたが、無理に私をそうしたのです」と言っています。偽教師達が私に対して悪口をいう時、パウロ先生はそのような方ではありませんと言うべきだったというのです。

★パウロは愚かになって、偽教師達に負けない自慢話をしようとしても「たとえ私は取るに足らない者であっても」と謙遜な言葉が出てしまうのでした。謙遜こそが、パウロのクリスチャンとしての生き方だったからです。反対に偽教師達はコリント教会の人々に、これ以上ない「大使徒」として自分を紹介していたようです。それに対してのパウロは「あの大使徒たちに」と言っています。それは皮肉を込めた言葉です。

★それでは、本当の使徒としてのしるしは何なのでしょうか。パウロは、使徒としてのしるしの最初は「忍耐を尽くして」の福音宣教ですと言っています。忍耐を抜きにして不思議や、しるし、力ある業ばかりを求めると、偽教師の罠にはまるのは現代も同じです。私達の教会にも、キリストの教会として奇蹟は起こっています。しかしそれを売り物にはしないのです。

★偽教師達は、パウロに教えられた教会は不完全な教会なので、私達が完全にすると言っていたようです。パウロはコリント教会に教理的な意味で「劣る点は何一つない」、あえて言うなら「給料を私が貰わなかったこと」と言っています。パウロは考えがあって「お金目的で新しい教えを持って来た」と言われないために、細心の注意をはらったのです。パウロの生活を支えていたのは、マケドニアの諸教会でした。(11:9)    

★使徒のしるしは、「忍耐を尽くしての宣教」です。その宣教の中で、信じる者に御業が現わされるのです。困難な時も教会を投げ出さずに伝道牧会する、それこそ真の使徒のしるしであることを知りましょう。

 

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