エペソ人への手紙(N0.21)「光の子として」5章6~21節
仁井田義政牧師
エペソ人への手紙からの連続メッセージは、今日で21回目になります。その中で、何度もエペソの町が堕落した町であったかを話してきました。その町にある教会が、エペソ教会だったのです。その町は、にぎやかな町でしたが、空しい言葉に溢れた町でした。パウロは、その中に生きているクリスチャンが空しい人生になってしまわないように、今日の御言を記しました。
★パウロは、「空しい言葉に騙されてはならない」と忠告しました。空しい言葉によって生活が実を結ばないのです。それは「不従順な子ら」の生き方でした。自分の快楽を優先し、神に不従順な生き方です。
★「あなたがたも、以前は暗闇、しかし今は光となった」と記されています。これは洗礼の時のことを言っています。エペソ教会の人達は、かつては同じように闇の生活をしていました。しかしキリストの救いによって、「光の子となった」のです。しかしエペソ教会のある人は、「闇」の中に戻って行ってしまったのです。キリストの救いが無駄になったのです。
★突然「酒によってはいけません。そこには放蕩があるからです。詩と、賛美と、霊の歌によって」と記されています。それは聖霊のことを伝えたかったからです。聖霊に満たされることは、酒と共通している面があるからです。それは、聖霊に満たされて「詩と、賛美と、霊の歌」を歌う時に、解放、喜び、平和を感じるからです。そして「キリストの名によって、父なる神に感謝しなさい」と教えています。
★聖書に「光と闇」が出てくる最初の所は、創世記の1章1~3節です。初めの世の中は、何もなく「茫漠としていた」と記しています。口語訳は「混沌としていた」と訳しています。神様は、その混沌に「光よ、あれ」と言われました。すると光が出来たのです。
神様は、今も教会を通し混沌に向かって「光よ、あれ」と御言を発しておられます。神様の言葉以外に、この混沌と暗闇を照らすものはありません。礼拝は、そこに集う人達が心の中まで神様の光に照らされる素晴らしい時なのです。ですから空しい言葉に騙されてはなりません。光の子らしく、光り輝く人生を歩もうではありませんか。