1月27日礼拝メッセージ「味のある人」

(礼拝メッセージ)「味のある人」マルコ9章43~50節

                      仁井田義政牧師

 今日の御言の結論は、最後の「自分自身の内に塩気を保ち、互いに和合して暮らしなさい」(50節)の御言です。塩気を保って、クリスチャン同士が和やかに暮らすには、どうしたらよいでしょうか。

★自分の手が、足が、目が、自分の信仰の躓きとなるようなら切って捨てよとイエス様は言われました。私達の基本的欲望は大きく分けると、食欲・性欲・睡眠欲が上げられます。この人間の基本的欲求がくせ者で、自分自身の信仰を躓かせるものともなるのです。躓くとは真っ直ぐに歩けない、または倒れるという意味です。

★自分の信仰の妨げとなるなら「手も、足も、目も切り捨てよ」とは、厳しい言葉です。もちろん文字通りと言うよりも、それほどに注意しなさいという意味です。そして「両手、両足がそろったままでゲヘナに投げ込まれるよりもましだからです」と続きます。ゲヘナとはベンヒンノムの谷のことで、そこは生ごみが捨てられた場所で、いつも火がくすぶっていました。「彼らを食う蛆は尽きず、火は消えることがない」とは、そこから来ているのです。

★さらにイエス様は「自分自身の内に塩気を保ちなさい」と教えられました。塩には防腐作用があります。また塩気は味となります。私達は食べることが大好きです。みんなで美味しい料理を囲むと、和やかな交わりが生まれます。しかしその料理が塩気のない料理だったとしたらどうでしょう。決して和やかな交わりにはなりません。イエス様は「塩味のきいた、味のある人間となって、互いに和合して暮らしなさい」と教えられました。

★なぜ「和合して暮らしなさい」と教えられたのでしょうか。それは、弟子達が「誰が一番偉いか」と論じ合っていたからです。(34節)イエス様は子供を連れてこられて「この子供のようになりなさい」(36節)と教えられました。人間は自分を偉い者、絶対に正しい者とする時に、和合できないのです。そのような生き方は、神の教会の平和な交わりを壊してしまうのです。そして神様の「火」、つまり裁きがあるのです。

★イエス様は「火によって塩気を付けられるのです」と言われました。塩で味つけられた「味のある人」になりましょう。そうして愛に満ちた交わりのある教会になりましょう。

 

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