Monthly Archives: 2月 2018

2月25日礼拝メッセージ「心配してはいけません」

(礼拝メッセージ)「心配してはいけません」マタイ6章25~34節

                                                                               楠 亜紀子師

 今日は、マタイの福音書6章から御言葉をお分かちします。

★マタイの福音書5章から7章は山上の説教と言われ、イエス様は山の上で

大勢の人々に教えられました。そこに集まっていた多くの人々の関心事と言えば「食べる物」や「着る物」でした。そのような人々にイエス様は、そのようなことだけに心がとらわれ、心配してはいけませんと教えられました。

★そして次に、自然界を通して「心配してはいけない」ことを教えて下さいました。空の鳥は種を蒔いたり刈り入れをしませんが、神様が養って下さいます。また野に咲いている花も自分で紡ぐことをしませんが、神様が装って下さいます。空の鳥も野の花も神様が養って下さるのですから、ましてやご自身の子供である私たちを養って下さらないわけがありましょうか。

私たちはイエス様のお話を聞いていた大勢の人々と同じように、無用な心配をしていることはないでしょうか。私たちのことを愛して下さるイエス様は、私たちが必要とするもの全てを与えてくださいます。

★それでは、私たちが求めなければならないものは何か他にあるのでしょうか。33節には「だから神の国とその義をまず第一に求めなさい」とあります。私たちが求めるべきものは、神の国と神の義です。神の国とは神様のご支配であり、その義とは神様の聖さです。私たちの心を神の国とし、神様を第一として生きなさいということです。私たちがいつも神様を第一とし、神様との関係が正しいものであるなら、私たちが生活していく上で必要なものは全て、天のお父さまが与えて下さるとの約束です。

★私たちは、明日のことを先取りして心配してしまうようなことはないでしょうか。私たちには明日のことが分からないので不安に思ってしまいますが、イエス様は私たちの明日をご存知です。今日も明日もいつまでも、私たちと共にいて下さり、私たちを愛し、守り、助けて下さるイエス様に、明日のことをおゆだねしましょう。そして、今日一日を精一杯生きましょう。

2月18日礼拝メッセージ「赦される罪と赦されない罪」

(礼拝メッセージ)マルコNO18「赦される罪と赦されない罪」3章20~30節

                          仁井田義政 牧師

 

イエス様は山の上で十二弟子を選んで、いつもの町へ帰って来られました。すると「また」大勢の人が家に押し寄せてきました。そこでイエス様は、赦される罪と赦されない罪について話されました。

★今日の御言には「家に戻られると」とありますが、現代の原語研究によると「帰られると」であり、共同訳はその方を用いています。その家は、おそらくペテロとアンデレの家であり、そこを活動拠点にしておられたと思われます。ペテロの奥さんと熱を癒していただいた姑が、御馳走を用意していたことでしょう。しかし群衆はイエス様に食事をする暇さえ与えず、自分たちの要求を続けました。

★イエス様の所に来た人々は、癒しや奇跡を求めて集まってきた群衆でした。自分の必要が満たされることが第一でした。そのような人達が熱心にイエス様の所に来ることを、エルサレムの律法学者達は妬みました。そして律法学者達は、イエス様と群衆を分断する為にエルサレムからガリラヤに来て、「イエスは悪霊につかれている」との噂を流しました。イエス様の「身内の者」も「イエスは悪霊につかれている」との噂を聞いて、イエス様を連れ戻しにやって来たのです。

★イエス様は律法学者達の悪意を知って、「悪霊は悪霊を追い出すなどと言う馬鹿なことはしない」と言われました。「聖霊」がこのことを行なっているのだと主張されました。そしてイエス様は「アーメン」と言って話されました。「アーメン」とは「真実」という意味です。そして「赦される罪と赦されない罪」を宣言されました。赦されない罪は「聖霊を汚す罪です」とイエス様は言われました。今日の御言の前の19節に「イエスを裏切ったイスカリオテのユダ」のことが記されているのが気にかかります。

★イエス様が十字架に着けられた時に、群衆はイエス様に対して悪口雑言を浴びせ続けました。その群衆に対してイエス様は「父よ、彼らを赦したまえ」と祈られました。ユダはイエス様を裏切った後「罪を悔いた」けれども「罪を改め」なかったのです。罪をその人に示すのは聖霊です。その聖霊の働きに逆らうことは赦されないのです。私達も「アーメン=真実です」と言って、そのことを教えられました。ですから私達は、罪を犯してしまった時には聖霊の罪の示しに従い、聖霊を敬うクリスチャンになりましょう。

 

2月12日礼拝メッセージ「主の任命に応えよう」

(礼拝メッセージ)マルコNO17「主の任命に応えよう」3章13~19節

                        仁井田義政 牧師

イエス様は、二千年前に御自分の計画を成し遂げるために、山において十二人を任命されました。

★山は、旧約聖書の出エジプト記の出来事と関係しています。モーセは、シナイ山に登りそこで神様から十戒を受け取りました。十戒が与えられ、十二部族からなるイスラエルが建国されたのです。しかし後のバビロン捕囚で、イスラエルは十部族を失いました。イエス様の時代には、イスラエルに二部族しかいませんでした。イエス様は新しい神の国の建国に、イスラエル十二部族を象徴して、山に登り十二人を世界宣教の為に選ばれたのです。

★クリスチャン達は、皆その新しい神の国の国民なのです。神の国の国民であるクリスチャンには、弟子達と同じ使命があります。第一の使命は、「身近に置くため」と記されています。イエス様と共にいることです。自分のことを優先させて、時々イエス様の近くに来るではいけません。第二は「彼らを遣わして福音を宣べさせるためである」と記されています。イエス様は、身近に置いた者を福音宣教のために遣わされるのです。

★十二弟子達は、どのように優れた人達だったのでしょうか。イエス様に従う前の彼らの職業や教育水準もまちまちでした。ペテロのように漁師だった人達が数人います。熱心党員シモンのように、いつでもテロリストとなりうる国粋主義者もいたのです。そうかと思えば収税人マタイのように、お金の為に体制にべったりの人もいました。またヤコブとその兄弟ヨハネように、「ボアネルゲ=雷の子」というニックネームをつけられるほど感情沸騰型の人もいました。最後にイエス様の「身近」から離れ、イエス様を売る裏切り者となったイスカリオテのユダの名が出てきます。

★弟子の中に優れた人は一人もいませんでした。それをイエス様は「御自分のそばに置くため」に選ばれたのです。なぜそばに置くのでしよう。イエス様ご自身から学ぶためにです。そして私達クリスチャンには、全ての人に「福音を宣べ伝える力」と、「悪霊を追い出す権威」が与えられるのです。あなたが今、イエス様のそばに生きているならば、今まで自分を見ていた以上に、あなたには力が与えられています。イエス様があなたを呼び寄せ、あなたを福音の為に任命されているのです。主に信頼され主から宣教の為に任命されているのですから、その任命に応えるクリスチャンとなりましよう。

2月4日礼拝メッセージ「イエス様に触ろうとして」

(礼拝メッセージ)マルコNO16「イエス様に触ろうとして」マルコ3章7~12節

仁井田義政 牧師

 今日の聖書には、イエス様を求めて集まる大群衆の姿が記されています。その群衆は外国からも集まって来ました。大群衆の力は指導者たちの力に優るのです。イエス様にとって天下を取るための最大のチャンスが到来したのです。しかし、イエス様は「群衆が押し寄せてこないように小舟を用意しなさい」と弟子達に命じられました。その真意はどこにあるのでしようか。

★イエス様の噂を聞いて、町や村やツロやシドンという外国からも人々が集まってきました。ずいぶん遠くからも来ました。イエス様の癒しの力を信じて集まってきた人達です。イエス様は「大勢の人なので、押し寄せてこないように、弟子達に命じられた」と記されています。共同訳や詳訳聖書は、「押し潰されないように」と翻訳しています。イエス様が群衆に「押し潰される」などということがあるのでしょうか。いざとなれば、湖の上を歩くことさえ出来たはずです。

★イエス様は、群衆が目的のためには「イエス様さえ踏み潰す」ことを見抜いておられたということが出来るでしょう。この三年後には、このような群衆が「イエスを十字架に付けよ」と叫び、ついに十字架につけてしまったのです。イエス様の本当の力を知って恐れたのは、汚れた霊だけであったことを聖書は記しています。人間だけが知らなかったのです。

★さらに「イエスはご自身のことを知らせないようにと、厳しく彼らを戒められた。」と記されています。次々に病気を治して「この事を出来るだけ多くの人々に言い広めよ」とご自身の癒しの力を誇示して扇動するのが、イエス様が成功者になるためのチャンスだったでしょう。しかもすでにパリサイ人とヘロデ党が手を組んでイエス殺害の計画に入っていたので、その計画を粉砕するためにも群衆の力こそ必要であったはずです。しかしイエス様はそのようなご利益だけを求める群衆には、何の力もないことを知っておられました。ですから私のことを知らせてはいけないと厳しく戒められたのです。

★イエス様が「全ての人々に私のことを伝えよ」と信頼して命じられる人々とは、どのような人々でしょう。それはイエス様が「私達の罪の為に十字架について死なれたこと。三日目に死人の中から復活し、今もなお私達と一緒におられること」を信じる人々です。ですからイエス様は、復活後に「全世界に出て行って福音を伝えよ」(マタイ28:19)と弟子達に命じられたのです。私達は今も生きておられる復活の主を心から信じる者になりましょう。