Monthly Archives: 6月 2017

6月25日礼拝メッセージ「パウロの心の激しい痛み」

第二コリントNO28「パウロの心の激しい痛み」11章28~33節

                         仁井田義政 牧師

 迫害よりも使徒パウロの心を激しく痛めつけていたことがありました。それはいったい何でしょうか。

★教会の外側からの苦難とは、異端や偽教師、同じ民族ユダヤ人からの迫害でした。しかしパウロは、それに耐えながら伝道を続けて来たのでした。しかしそのパウロにも、耐えがたい苦しみがありました。それは、「日々私に押しかかるすべての教会への心づかいがあります」(11:28)と今日の聖書の箇所に記されています。偽教師やその教えによって、信仰の弱い人は正しい教えに躓いてしまうのです。その事を聞くことによって、パウロの心は激しく痛み傷つき弱りました。現代の伝道者や牧師にとっても、そのことが心の激しい痛みとなり、最大の心の傷となるのです。

★パウロは、11章1節、17節、21節などで「愚か者達のする自慢話」と思えることをしてみました。しかし、どんなに福音の為に迫害されながら伝道してきたことを話しても、自分を偉大に見せようとしているようでしっくりこないのでした。なぜならば「父なる神が永遠にほめたたえられる方」であることを知っているからです。パウロは、私は使徒だからと言って強い人間ではなく、信徒達の不信仰に悩み、心を痛める弱い人間である」ことを告白しています。そのような弱い自分を使徒として用いて下さっている父なる神こそ、偉大なのですというのでした。私が弱い者という証拠に「ダマスコで迫害を受けた時、城壁の門は閉ざされたので、城壁の窓から籠に乗せられて釣り降ろされて、迫害を逃れました」と記しました。

★今日の御言で心に留めて頂きたいことは、信徒の一人が不信仰になる時、牧師の心は耐えられないほど激しく痛むということです。しかし人が不信仰になる時、本人はいたって元気であるということが多いのです。それは神様の御心に従うよりも、自分の思い通りに行動しようとするからです。その時の不信仰のエネルギーは強いものです。そのような時、パウロの心も牧師の心も激しく痛み、人々への心配が日々押しかかるのです。

★信徒の皆さん、そのようなことのないように、御言にしっかりと立ちましょう。そして正しく信仰を守り、神様の御心に従順に従いましょう。

6月18日礼拝メッセージ「何を見つめて歩んでいますか」

「何を見つめて歩んでいますか」マタイ14章22~33節 

                          楠 亜紀子師

 今日はペテロの姿を通して、私たちはいつも何を見つめて歩むべきなのかということをご一緒に考えてみたいと思います。

★イエス様は多くの人々の病気を癒されたり、五つのパンと二匹の魚で五千人ほどの人たちに分け与えられる奇跡をなさいました。多くの人々はイエス様のみわざを見て喜び熱狂しましたが、イエス様は弟子たちが群集の熱狂や興奮に巻き込まれてしまわないよう船に乗り込ませ、群集から離れるようにされました。弟子たちが船を漕いでいると逆風と大波に翻弄され、何時間も湖の上で格闘することとなります。弟子たちが大変な思いをしながら船を漕いでいると、イエス様が弟子たちの所へ来られましたが、弟子たちはイエス様が来られてもイエス様だと分からず、かえっておびえてしまいました。まさかイエス様が湖の上まで来てくださるとは思わなかったのでしょう。それと同時に心の中は不安と恐れでいっぱいだったため、一番大切なことを見ることができなかったのではないでしょうか。私たちも困難や悩みだけに目を向けていると大切なことを見失い、最も近くに来て下さるイエス様が分からないということにならないでしょうか。

★28節「するとペテロが答えて言った。主よ、あなたでしたら私に水の上を歩いて…」ペテロはイエス様のお言葉に従い船から降りて水の上を歩きましたが、途中で怖くなり沈みかけてしまいます。ペテロは最初、まっすぐイエス様を見て歩きましたが、しばらくすると風と波に目を向けてしまい、その時に恐れの心が来たのです。そのようなペテロに、イエス様は信仰が薄い人だとおっしゃいました。信仰生活は水の上を歩くのと同じです。目の前にある困難や悩みだけに目を向けていると、不安と恐れの中に沈み込んでしまいます。私たちはどのような時もイエス様から目を離さず、御言をしっかり握り締めているなら必ず向こう岸に辿り着けます。そして、どのような強い風も嵐も、共にいて下さるイエス様が静めて下さるのです。

あなたは今、何を見つめて歩んでおられますか…。風と波を見つめていますか。それともイエス様をまっすぐ見つめて歩んでいますか。

 

 

6月11日礼拝メッセージ「苦難によるパウロの証明」

第二コリントNO27「苦難によるパウロの証明」11章16~27節

                         仁井田義政 牧師

 コリント教会のある人達は、偽教師たちの自慢話に感動し彼らを信じました。パウロはその人々を救い出すために、あえて自慢話と誤解を受ける危険性のある話をしなければならなかったのです。そのパウロの苦労が、ここに記されています。

★パウロは自分を愚か者と思う者の為に、不本意ながら私は自分を誇って見せると記しました。あえて偽教師の立場に立って、自分を愚かにして、不本意ながら自慢話をするのです。それは「多くの人が肉によって誇っている」からです。その「肉によって」は、生まれながらの能力や家系図のことです。偽教師はそれを誇ったのでした。「私も愚かになって言います。私もヘブル人、イスラエル人、アブラハムの子孫です」とパウロは言いました。

★さらに、自分がキリストの僕である証拠は、キリストの為にどれだけ労苦したかであると言いました。キリストの僕であることは、「狂気したようになって言いますが」と記しています。これだけは絶対にゆずれないという強い意味です。その証拠は何か。キリストの救いを伝える為に、数々の苦難に遭いながら伝道して来た事実です。キリストの為に生きる使徒でなければ、このような苦難の連続に耐えることは出来ないとパウロは主張しました。

★その苦労は「同国民の難。異邦人の難。投獄の難。暴動の難。偽兄弟の難など数々の苦難に遭いながら伝道して来たのです。パウロは私達と同じ人間です。食べ物がなければ飢え、寒さにあえば凍えるし、心配があれば    不眠症になるのです。その弱さを持ちながら、イエス様の福音が各地に伝えられたことこそ、パウロがキリストの僕である事実の証明なのです。

★パウロは福音の為に例えどんな困難があっても、決して諦めないで伝道して来ました。自分の生活の安定や平安よりも、人々を救おうとするキリストの愛に生きて来たのです。パウロは当時の最高権力国ローマの市民権を持っており、ユダヤ人国家であっても手が出せない高い立場にあったのです。それらを教会の為にかなぐり捨てて、夜も眠れぬほどにキリストの教会の為に生きてきたのです。これ以上の使徒としての証明や証拠はありません。

私達もキリストにある者として、パウロのように少しでも苦難による証明を人生の中に持とうではありませんか。

6月4日礼拝(ペンテコステ礼拝)「なぜ聖霊派は成長したのか」

(ペンテコステ礼拝)「なぜ聖霊派は成長したのか」使徒1章8節

                         仁井田義政 牧師

   今日はペンテコステ記念礼拝です。キリスト教の報道は「世界中で聖霊派が目覚ましい成長を遂げている」と伝えています。その成長の理由は何でしょうか。聖霊のバプテスマによって教会は誕生したのです。そして「エルサレム・ユダヤ・サマリの全土・および地の果てまで」(使徒1章8節)教会は拡大するとイエス様が約束されたからに他なりません。

★今から116年前の1901年、アメリカ・カンザス州トペカの町あったベテル聖書学院の女学生から始まりました。その女性の名はミス・アグネス・オズマンです。その人に始まったというより、その人によって教会に聖霊のバプテスマが戻ったということが正しいでしょう。教会は長い間、聖霊の力を忘れてしまっていました。

★近代の世界の教会は、自由神学の影響を受け、力を失いつつありました。そのような時に、アメリカ・カンザス州のアグネス・オズマンに聖霊が注がれ、一気に宣教の熱意に満たされたアッセンブリー教団が誕生したのです。アッセンブリー教団を代表とする聖霊派の神学は、新生・聖化・神癒・再臨の伝統的教理の上に、聖霊のバプテスマを加えました。神様は20世紀の終わりと21世紀の初頭に、この信仰を持つクリスチャンと教会を用いて教会刷新を続けているのです。

★しかし、今も聖霊派をよく思わない人々がいます。反対者は第一コリント12章から14章の御言をミクロ的に見て反論します。しかしマクロ的に見ますと、14章18節でパウロは「私は・・・多くの異言を話すことを神に感謝しています」と言っています。そし12章から14章の結論というべき39節でも、パウロは「異言を話すことを禁じてはいけません」と言っています。

★教会発祥の原動力となった聖霊のバプテスマは、20世紀終り頃まで消え去っていました。そのために世界の教会は、宣教の無力さを体験したのです。しかしついに教会は、聖霊の力の真理に戻ったのです。今や聖霊派は、世界の教会を動かし始めたのです。現在すでにペンテコステ派は、プロテスタントの中で第1位となりました。特に「世界のアッセンブリー教団の発展は目覚ましい」と報道されています。ですから私達の教会も、しっかりと聖霊のお働きの上に教会の伝道の基礎を置き、聖霊によって成長しましょう。