第二テサロニケ (NO2)「苦難の意味」1章4~7節
この手紙を受け取るテサロニケ教会は、激しい迫害の中にありました。教会外の人達からは、「お前の信じている神が本当に生きているなら、お前たちをどうして助けないのか」と言う人達がいたでしょう。クリスチャンも、そのように自問することがあったでしょう。今日の御言は、その質問に答えています。
★迫害については、神様が全能であるならば、クリスチャンの為に迫害している者を罰して、クリスチャンから迫害を取り払って下さっても良いはずです。そう考えるのは、クリスチャンでない人に限らず、クリスチャンでも少なくないでしょう。
★今日の御言は、その理由を「あなたがたを神の国にふさわしい者とするため」(5節)と記しています。旧約聖書の出エジプト記を思い出してみましょう。なぜ神様は全能であられるのに、イスラエルの民に四十年も荒野の旅をさせたのでしょう。それは、約束の地に信仰者を入れるためでした。荒野でテストを受けたのです。エジプトを出る時に二十歳以上だった人々は、みな荒野で滅んでしまいました。例外的に信仰者のヨシュアとカレブだけが、約束の地に入ることが出来ました。なんとモーセさえも入れなかったのです。
★苦難は、あなたをクリスチャンとして訓練する為にあるのです。クリスチャンは、どんな苦難にあっても滅ぼされることはありません。苦難がその人の人生にマイナスになることもありません。むしろプラスにさえなるのです。詩篇119篇71節に 「苦しみにあったことは、私にとってしあわせでした。私はそれであなたのおきてを学びました。」とあります。「あなたのおきて」とは御言です。クリスチャンにはプラスになり、神様を信じない迫害者には、神の裁きとなって臨むのです。
★苦しみに遭う時、特にクリスチャンであると言うことで迫害や反対を受ける時、これは神様が私を愛して「私を神の国にふさわしい者とするために」(5節)訓練して下さっている証拠だと受け止めて、さらに信仰へと前進すべきなのです。苦難に遭えばあう程、信仰を強く持って、御言を信じ前進しましょう。