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2017年10月1日 礼拝メッセージ「イエス様の権威と力」

(礼拝メッセージ)マルコNO6「イエス様の権威と力」1章21~28節
仁井田義政牧師

 ガリラヤ湖の漁師4人を弟子にしたイエス様は、同じガリラヤのカペナウムの町に行かれました。そこにはユダヤ人達の会堂がありました。イエス様は安息日にそこに入って行かれ、そこで神様の御言を話し出されたのです。すると人々はその教えに驚きました。それは今まで聞いたことのない新しい教えだったからです。
★その新しい教えとは何だったのでしょうか。それまでの律法学者達の教えは「律法を守れない者は絶対に神の恵みに入れない。律法を守れ」と言うような教えでしたが、それとは真逆の「権威のある新しい教え」だったのです。
★シナゴークでの教えの内容を要約すれば、1章14~15節で言われた「時が満ち、神の国が近くなった。悔い改めて福音を信ぜよ」です。「時が満ちて、救い主の時代」が始まったのです。ですから「神の国は、誰でも悔い改めて信じるならば入れる近くに来た」のです。つまり悔い改めるならば、誰でも救われるという福音です。「自分は罪人で救われない」と思っている人々は、解決出来る教えを聞いたのです。
★するとイエス様の教えに汚れた霊が騒ぎ出し、イエス様の言葉に汚れた霊も出て行ったのです。イエス様が来られるまでは、汚れた悪霊「たち」は人の中に安心して住み込んでいたのです。共同訳聖書では、汚れた霊は「私達をかまわないでくれ」と言ったと記されています。それに対しイエス様は、「黙れ」と命じられました。それは「くつこをかけよ」の意味があります。「くつこ」とは馬の口につける籠のことです。
★イエス様の「権威ある力」を信じないで、自分は汚れた霊につかれているというクリスチャンがまれにいます。イエス様より汚れた霊の力が強いと信じていれば、汚れた霊はその人のうちに安心して住み続けるのです。しかし、この会堂にいた人のように、イエス様が会堂に来て下さって「時が満ち、神の国が近づいた。悔い改めて福音を信ぜよ」と言われた言葉を信じ始めた時に、汚れた霊はその人のうちに住むことが出来なくなるのです。
どのような人でもイエス様の言葉を信じて実践するならば、新しい人生を始めることが出来るのです。イエス様の言葉には権威があります。私達の人生を変えることの出来るイエス様の力を信じましょうラヤ湖の漁師4人を弟子にしたイエス様は、同じガリラヤのカペナウムの町に行かれました。そこにはユダヤ人達の会堂がありました。イエス様は安息日にそこに入って行かれ、そこで神様の御言を話し出されたのです。すると人々はその教えに驚きました。それは今まで聞いたことのない新しい教えだったからです。
★その新しい教えとは何だったのでしょうか。それまでの律法学者達の教えは「律法を守れない者は絶対に神の恵みに入れない。律法を守れ」と言うような教えでしたが、それとは真逆の「権威のある新しい教え」だったのです。
★シナゴークでの教えの内容を要約すれば、1章14~15節で言われた「時が満ち、神の国が近くなった。悔い改めて福音を信ぜよ」です。「時が満ちて、救い主の時代」が始まったのです。ですから「神の国は、誰でも悔い改めて信じるならば入れる近くに来た」のです。つまり悔い改めるならば、誰でも救われるという福音です。「自分は罪人で救われない」と思っている人々は、解決出来る教えを聞いたのです。
★するとイエス様の教えに汚れた霊が騒ぎ出し、イエス様の言葉に汚れた霊も出て行ったのです。イエス様が来られるまでは、汚れた悪霊「たち」は人の中に安心して住み込んでいたのです。共同訳聖書では、汚れた霊は「私達をかまわないでくれ」と言ったと記されています。それに対しイエス様は、「黙れ」と命じられました。それは「くつこをかけよ」の意味があります。「くつこ」とは馬の口につける籠のことです。
★イエス様の「権威ある力」を信じないで、自分は汚れた霊につかれているというクリスチャンがまれにいます。イエス様より汚れた霊の力が強いと信じていれば、汚れた霊はその人のうちに安心して住み続けるのです。しかし、この会堂にいた人のように、イエス様が会堂に来て下さって「時が満ち、神の国が近づいた。悔い改めて福音を信ぜよ」と言われた言葉を信じ始めた時に、汚れた霊はその人のうちに住むことが出来なくなるのです。
どのような人でもイエス様の言葉を信じて実践するならば、新しい人生を始めることが出来るのです。イエス様の言葉には権威があります。私達の人生を変えることの出来るイエス様の力を信じましょう。