マタイ講解NO26「愛されているから」マタイ7章7~12節
仁井田義政牧師
今日の御言は、悩んでいる人々を一歩も二歩も行き詰まりから前進させる素晴らしい御言です。行き詰まりとは、自分の何か越えられない壁のようなものを感じて悩んでいることです。それは6章25~34節で、イエス様が教えられた衣食住の問題かもしれません。あるいは先週、話しました人間関係の問題かもしれません。今日のイエス様の御言を聞いて、そのような人生から立ち上がりましょう。
★イエス様は「求めなさい」と言われました。それは「求め続けなさい」との意味です。誰に求めるのでしょうか。自分に求めるでしょうか。他人に求めるのでしょうか。違います。神様に求めるのです。神様に求め続ける、探がし続ける、たたき続けるのです。それは祈りです。
★祈る人は、神様の愛を知っている人です。イエス様は、人間の親のことを例にしながら、神様の愛を教えておられます。不完全な人間の父親さえ、パンを求める子に石を与えることはありません。魚を求める子に蛇を与えることはありません。それならば完全な愛に満ちた天の父が、私達に「良いものを下さらないはずがありましょうか」と言われました。ルカ福音書11章13節には「良いもの」とは「聖霊である」と記されています。
★この話は、あなたの人生の行き詰まりのことが目的で話されたのではありません。この話の最後の「それで」「だから」いう接続詞で、そのことは明かです。「人に良いことをしたら、神様が良いことをして下さる」のではないのです。「私達は神様にすでに愛されているので、人々を愛する」のです。
★今日の御言は、12節の「それで」「だから」という接続詞で、聖書全体の教えの「神と人の愛」につながっているのです。祈りなさい、求めなさい、探しなさい、叩きなさい、と教えて下さっているのです。神様の愛が既に与えられていることを感謝して、行き詰った人生から立ち上がりましょう。
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