(礼拝メッセージ) 「遣わされた者として生きる」ルカ4章42節~44節
高間智浩師
クリスチャンの生活は祝福もありますが、多くのことに向き合う生活でもあります。その中で私たちは時に、「自分は何のためにここにいるのか」「どこへ向かっているのか」を見失いそうに、また見えなくなることがあります。しかし今日の箇所でイエス様は、ご自身が“何のために遣わされたのか”を、非常に明確に語っておられます。この御言葉から、「遣わされた者として生きる」とは何かを共に考えたいと思います。
★「朝になって、イエスは寂しい所に出て行かれた。」とあります。前章の3章では、多くの癒しと悪霊追放が行われていました。その時人々は熱狂していましたが、イエス様はその流れに飲み込まれることなく、祈りの場へ退かれました。忙しさの中でも、父なる神との交わりを優先されたとみることができます。生活の中で私たちに必要なのは“主との交わり”です。
★「イエスが自分たちから離れて行かないよう引き止めておこうとした。」とあります。イエス様は、“求められること”より“遣わされた目的”を優先されました。人から必要とされることと、神から遣わされていることは、必ずしも同じではない時があります。例えばパウロの例では、使徒の働き16章で、パウロはアジアで伝道したかったのですが、聖霊によって禁じられた箇所があります。その結果、主の導きにより家族が救われる事が起きました。
★イエス様には“どうしても”がありました。「どうしても宣べ伝えなければならない」と。イエス様には使命への確信と従順がありました。感情や状況ではなく、父なる神の御心に生きておられました。では私たちはどうでしょうか?イエス様は癒しも奇跡もなされました。しかし中心は、「神の国の福音を宣べ伝えること」でした。教会は知識取得の場所だけでなく、福音に生きる者同士が共に支えあう場所です。そしてさらに、福音を伝える者として整えられていく場所でもあります。
★主は、目的なく私たちをここへ置かれたのではありません。イエス様が、「そのために遣わされたのです」と語られたように、私たちもまた、「主によって遣わされた者」として、これからの歩みを続けていきたいと思います。
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