Monthly Archives: 6月 2026

6月28日礼拝「今は恵みの時、救いの日」

(特別合同礼拝)「今は恵みの時、救いの日」            仁井田義政牧師

出エジプト記3章1~5節  第二コリント6章1~2節

 今日は合同礼拝です。集会企画部より「特別なメッセージをしてください」と依頼されました。佐藤達彦兄による特別な賛美も用意されました。特別なメッセージを聞くためには、聞き手にも特別な覚悟が必要です。モーセも「あなたの足の靴を脱ぎなさい」と言われたのです。

★靴を脱ぐとは、自分の足で歩いてきた過去を脱ぎ去ることです。人はみな過去を引きずって生きています。モーセは、40歳までエジプトの王子として自信に満ちて生きていました。しかし40歳の時に自己過信で失敗し、80歳まで荒野で義父イテロの羊を飼っていました。彼は、華やかな時と失敗の時を引きずって生きていたのです。その時「モーセ、モーセ」と呼ぶ神の声を聞きました。

★第二コリント6章1~2節見ると、「時計の時間」と「神様の時間」がギリシャ語ではっきりと区別されています。時計の時間は「クロノス」で、神様の時間は「カイロス」なのです。ここでは「今は恵み時、今は救いの日」と、カイロスという言葉が2回繰り返されています。それは、神様のあなたに対する「恵みの時」の接近です。カイロスの接近です。

★その「カイロス」ゆえに、使徒パウロは「神の恵みを無駄にしないで下さい」と懇願しています。そして ἰδού (イドゥ)見よ。νῦν (ニュン)今。まさにこの時と二度繰り返し、今がその時、今日がその時と言っているのです。決断の時が今であり、あなたの前にイエス様の救いの門は、今日最高に開かれているという意味なのです。

★神様がなぜ懇願しておられるのでしょう。それは100%あなたの為であって、0.1%も御自分の為ではありません。あなたを過去の全てから救うために懇願し、語り掛け、救いの門を開いて下さっているのです。神様の愛の前に、靴を抜いで、イエス様を信じましょう。

6月21日礼拝「遣わされた者として生きる」

(礼拝メッセージ) 「遣わされた者として生きる」ルカ4章42節~44節

                            高間智浩師

クリスチャンの生活は祝福もありますが、多くのことに向き合う生活でもあります。その中で私たちは時に、「自分は何のためにここにいるのか」「どこへ向かっているのか」を見失いそうに、また見えなくなることがあります。しかし今日の箇所でイエス様は、ご自身が“何のために遣わされたのか”を、非常に明確に語っておられます。この御言葉から、「遣わされた者として生きる」とは何かを共に考えたいと思います。

★「朝になって、イエスは寂しい所に出て行かれた。」とあります。前章の3章では、多くの癒しと悪霊追放が行われていました。その時人々は熱狂していましたが、イエス様はその流れに飲み込まれることなく、祈りの場へ退かれました。忙しさの中でも、父なる神との交わりを優先されたとみることができます。生活の中で私たちに必要なのは“主との交わり”です。

★「イエスが自分たちから離れて行かないよう引き止めておこうとした。」とあります。イエス様は、“求められること”より“遣わされた目的”を優先されました。人から必要とされることと、神から遣わされていることは、必ずしも同じではない時があります。例えばパウロの例では、使徒の働き16章で、パウロはアジアで伝道したかったのですが、聖霊によって禁じられた箇所があります。その結果、主の導きにより家族が救われる事が起きました。

★イエス様には“どうしても”がありました。「どうしても宣べ伝えなければならない」と。イエス様には使命への確信と従順がありました。感情や状況ではなく、父なる神の御心に生きておられました。では私たちはどうでしょうか?イエス様は癒しも奇跡もなされました。しかし中心は、「神の国の福音を宣べ伝えること」でした。教会は知識取得の場所だけでなく、福音に生きる者同士が共に支えあう場所です。そしてさらに、福音を伝える者として整えられていく場所でもあります。

★主は、目的なく私たちをここへ置かれたのではありません。イエス様が、「そのために遣わされたのです」と語られたように、私たちもまた、「主によって遣わされた者」として、これからの歩みを続けていきたいと思います。

6月14日礼拝「不安に打ち勝つ方法」

マタイ講解NO24「不安に打ち勝つ方法」6章31~34節

                                              仁井田義政 牧師

 現代は不安に満ちています。イエス様は「不安に打ち勝つ決定的な方法」を教えておられます。それが今日の御言です。

★多くの人達は、先週話しましたように「衣食住」の心配で心がいっぱいになっています。そのことをイエス様は「異邦人の生き方」と言われました。それは神様を知らせない人のことです。明日のことが不安なのです。神様を知らない人は、なぜ不安なのでしょう。「天の父=アバ」を知らないからです。天の父とは「私達を愛して下さっている」唯一の神様です。その御方が私達の必要を知っておられるのです。

★イエス様は、不安に勝利する方法を教えられました。その方法とは、「神の国と神の義を第一に求めなさい」ということです。「神の国」とは、神様の御支配のことです。「神の義」とは、神様の正しさに添った生き方を求めることです。そして、明日のことまで引きずり込む「取り越し苦労」をやめて、まず神様との関係をしっかり建て上げなさいと教えておられるのです。

★ロシアの文豪トルストイは五十歳の頃、小説「戦争と平和」や「アンナ・カレーニナ」を書き終え、有名人となっていました。しかしその名声や富も、決して心を満たすものではないことを知ってしまったのです。五十歳以後のトルストイは、子供たちにそのことを教えなければと考えて「民話集(童話集)」を書きました。その中には「愛のある所に神あり」という短編もあります。日本では「靴屋のマルチン」という題名の方が有名でしょう。

★その民話集には、神様を第一に愛し、そして人々を愛する人々が記されています。彼は、イエス様が教えられたマタイの6章を実践する人こそが、本当の幸せになれると確信したのです。私達も、神様を知らない人のように生きるのではなく「神の国と神の義を第一に求めて生きる」人になりましょう。それが不安に打ち勝つ唯一の方法なのです。現代は、いろいろな不安に満ちています。その不安に心が分散されてはなりません。「神の国と神の義」に集中しましょう。「そうすればそれ以外のものは添えて与えられます」とイエス様は言われました。

6月7日礼拝「心配から解放されなさい」

マタイ講解NO23「心配から解放されなさい」6章25~30節

                                                 仁井田義政 牧師

今日の御言葉を見ると、二千年前の人々も、現代の私達と同じように心配ごとで潰されそうになっていたのだなと思います。イエス様は「あなたがたが毎日見ているものから目を離して、もっと違うものを見るようにしなさい」と言われました。そこに心配事から解放される秘訣があるからです。

★あなたは毎日何を見ていますか。危険なことですが、歩いても、自転車の上でも、車を運転中でさえスマホを見ている人がいます。良い情報はないかと探して目を離せないのです。スマホの情報に安心があると信じ込んでしまっているのです。しかし不安は消えません。

★イエス様は「野の花や空の鳥を見なさい」と教えられました。空の鳥は蔵を持っていなくても。野の花も何を着ようかと心配しないと教えられました。現代的に言うならば「スマホから目を離して、鳥や花を見てごらんなさい、小さな世界で悩む自分が馬鹿らしく見えますよ」との教えではないでしょうか。神様があなたを空の鳥よりも野の花よりも大切な存在として、守って下さっているのですと教えられました。

★さらにイエス様はその不安からの解決として、天の父であられる神様を信じて生きることを教えられました。「天の」という言葉は、人間をはるかに超えた力と能力を持っておられる神様を意味します。さらに父はアラム語の「アバ」で、最も私達を愛してくださっている方を表わします。その方があなたの「父=パパ」なのですと教えられたのです。旧約時代には、神様の名は恐れ多くて口にすることさえ出来ませんでした。それをイエス様は「神様はあなたを愛しておられるパパなのです」と教えてくださったのです。その御方が私達を愛し、私達に良くして下さろうとしておられるのです。

★イエス様は、あなたが恐れ凝視し不安を感じているものから目を離しなさいと教えられました。あなたは何を見て、恐れたり不安になったりしていますか。イエス様の言われるように、私達を愛しておられる「天のお父様」に目を向けましょう。今は恐れと心配の満ちている時代です。

イエス様の御言を信じて、心配事から解放されましょう。