5月10日礼拝「凛として生きるクリスチャン」

マタイ講解NO21「凛として生きるクリスチャン」マタイ6章16~18節

                          仁井田義政牧師

 今日は、イエス様が山上で教えられた教えの第10回目です。今日の教えは「断食して祈る時の教え」です。旧約聖書には「大贖罪日に断食の祈りをするように」記されています。その日は、イスラエルの民全体の罪を贖う(あがなう)神聖な日でした。しかしパリサイ派の人々は、週に二度も断食を行なっていたのです。(ルカ18;9~14)

★パリサイ派の断食は、人に強いられてしていたわけではなく、パリサイ派の自主的なものでした。しかし自主的なものであっても、それは人々に信仰深さ見せるためのものでした。そのために、断食の日にはやつれた顔をし、髪もバサバサにして、人に見せていたのです。

★イエス様は、人からの賞賛を目的にした信仰行為は、全て偽善的行為であると教えられました。6章1~4節では「施し」について。6章5~15節では「祈り」について。そして今日の6章16~18節では「断食」について、人に見せるために行なう行為は偽善ですと教えられました。

★「人に認めてもらいたい」という卑しい目的ではなく、人には隠して神様に受け入れて頂くために行う善行、祈り、断食は全て父なる神様に届いていると教えられました。「人には見られない隠れた所」はある意味孤独な所です。その孤独な所に「アバ父」が最も近くおられるのです。そこはあなたの罪を裁く神がおられる所ではなく、あなたと親子となられた「アバ父」がおられる所なのです。

★人に見られない善行、祈り、断食を行なうことの出来るクリスチャンになりましょう。それこそが、凛としたクリスチャンの生き方です。人の賞賛と愛を求め続けなければならないような偽善的な生き方ではなく、人の賞賛を受けようが受けまいが、人々の為に善行と祈りと断食ができるクリスチャンになりましょう。それが「凛として生きるクリスチャン」なのです。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です