Monthly Archives: 4月 2026

4月26日「ともに苦しまれる神」

主日礼拝メッセージ「ともに苦しまれる神」イザヤ63章7~9節 

                           高間智浩師 

 皆さんに問いかけがあります。人生の苦しみの中で、「神は本当に分かってくれている」と思ったことはないでしょうか。誰にも理解されない悩みを抱えた経験はありますか?御言葉で「彼らのすべての悩みのとき、主も悩まれる(苦しまれる)」と教えてくれています。今日の題は「ともに苦しまれる神」です。神は「無関心な観察者」ではありません。神は民の苦しみを「知っている」だけでなく、その苦しみに関わっておられます。

★神は感情だけで終わりません。神は「同情するだけ」ではなく、救いの行動を起こされる神です。主は、聖書の中で救いの具体性をもって、旧約聖書時代は主の使いによる救出をし、新約聖書時代はひとり子のイエス・キリストを遣わし、救いを表わされました。

★救いの動機は「愛とあわれみ」によってであり、行いによらない、努力によらない、資格によりません。神の救いの出発点は、人間の善さではなく、神の愛によってです。

「あがない」の意味は、代価を払って買い戻す、失われた者を取り戻すということです。

神は、あなたを「手放してよい存在」とは決して思っておられません。

もし今、重荷を一人で背負っているなら、今日、その重荷を主にゆだねてみませんか。

4月19日礼拝「キリスト教の美学」

マタイ講解NO19「キリスト教の美学」マタイ6章1~6節

                      仁井田義政 牧師 

 イエス様は、信仰の行いでも人に見せるための善い行いと、神様と人とを愛しての善い行いとでは全く違うと教えておられます。イエス様はまさに、美しいキリスト信仰を教えて下さっています。

★今日の聖書の御言には、神様に喜ばれる善い行いのことが教えられています。人に喜ばれることを目指すのか、神様に喜ばれることを目指すのかということです。クリスチャンにも、気を付けないと落とし穴があります。それは、人から称賛されることを求めてしまいやすいことです。イエス様は、そのような行いは神様には喜ばれないと教えられました。

★どうしてイエス様は、このような教えを人々にされたのでしょうか。それは、人に喜ばれようとすることは、自分を神様の位置につけてしまっているようなものだからです。教会の奉仕は、人から賞賛されることが少ないでしょう。ですから気を付けなければなりません。神様にお仕えするよりも、人に賞賛される奉仕を選んでしまう落とし穴があるからです。

★イエス様は、祈りについても同じであることを教えられました。人に見せたり聞かせたりするための祈りは、偽善者のすることだと教えられました。それは、心が神様に向かっていないで、聴衆に向かっているからです。隠れた所での祈りは、真摯な祈りです。神様は、そのような隠れた祈りを聞くために、そこに待っていて下さるのです。

★今日の御言には、人に知られない行ないと、人の目に見えない所での祈りが記されています。両方とも人の関心を買おうとするのは「偽善です」と教えられました。偽善とはギリシャ語の「ヒュポクリシス」で、「演技する。ふりをする」という意味です。イエス様が教えられた「キリスト教の美学」は、人の目には見えなくても、神様に喜ばれるように善い行いをすることです。私達は、イエス様の教えられた美しい生き方をしていく人になりましょう。

4月12日礼拝「敵をも愛しなさい」

マタイ講解NO18敵をも愛しなさい」マタイ5章38~48節

                      仁井田義政 牧師 

 主イエス様の教えには、それを実践したならば世の中はどうなってしまうのだろうと思える御言が沢山あります。42節「求める者には与え、借りようとする者はことわらないように」等もそのひとつでしょう。イエス様はそのような実践不可能な事を私達に求めておられるのでしょうか。そうではありません。イエス様のこの教えは「愛」というテーマに包まれているのです。今日は「敵をも愛しなさい」という題でお話し致します。

★まず今日の御言に「目には目を、歯には歯を」が出てきます。この言葉は「やられたらやり返せ」という報復の勧めとして用いられることがあります。しかしこれは「目を傷つけられたら、同等の目までにしなさいよ」との「同態復讐法」であり、これだけでも十分寛容な教えなのです。それによって「復讐の連鎖を断ち切って、平和を求めなさい」という教えなのです。

★人間の本能は、徹底的に仕返しをすることです。しかし主は平和を作るために「悪者に歯向かうな」と言われました。また「一ミリオン行けと言う者には、二ミリオン行きなさい」とも言われました。平和の為に、愛でその人の上に立ちなさいという教えなのです。「敵をも愛しなさい」という教えも同じです。つまり支配されるのではなく、愛によってその人の上に立つのです

★私達は、職場でも学校でも、心に「敵か、味方」を作ってしまいます。しかし神様は「良い人の上にも、悪い人の上にも」太陽も雨も与えて生かしておられるのです。そのような愛の神様に倣って、心の広い人になって愛を実践し、平和を作っていくべきなのです。

★それを実践した「マハトマ・ガンジー」「キング牧師」「ネルソン・マンデラ」などの人々は「非暴力」という愛の力の哲学を確立したのです。愛は正義よりも強いのです。ですからイエス様は、正義で私達を裁きませんでした。罪人である私達のために、十字架に着いて下さったのです。

私達も、正義よりもイエス様の教えに従って、「私は敵をも愛する」と決心し、自由になりましょう。

イースター「主はこの山の上で死を滅ぼされる」

2026イースター「主はこの山の上で死を滅ぼされる」イザヤ25章6~9節 

                         仁井田義政 牧師 

 イースターおめでとうございます。今日は例年とは違い、旧約聖書のイザヤ書から、イースターのメッセージをお届けしたいと思います。そこには、イエス様の御復活とイエス様と私達との関係まで、素晴らしく預言として記されています。イザヤは、キリストが誕生される750年も前の預言者です。そんな前に、イエス様の御復活を預言していました。

★イザヤは、イエス様が復活される場所は「この山の上である」と預言しました。「この山の上」とは、エルサレムのことです。イエス様の主な活動地はガリラヤ地方でした。しかし預言者イザヤは、140~150㎞も離れた(徒歩5~6日の)距離のエルサレムで勝利をとると預言したのです。そこで起こる大きな喜びを「宴会」という表現で3回も記し、エルサレムでのこの勝利を万民・万国のものだと記しているのです。

★それではその喜びにつながる勝利は、いったい何に対する勝利なのでしょうか。それは、死に対しての勝利です。「万国の万民の無知の覆いを取り除き、すべての顔の涙をぬぐい取って下さる」と記されています。覆いかぶさっているとは、本当のことが見えないということです。つまり死後の世界の事が分からずに生きている人。あるいは死は他の生き物と同じだと割り切って考えている人。そのような唯物論的な考えに勝利するのです。

★イエス様は、万国・万民の上に掛かっている死後の世界の無知という覆いを取り去って下さる方として、イザヤは預言したのです。そうして預言のように「この山の上=エルサレム」で起こりました。エルサレムで十字架につけられて殺されたイエス様が、三日目の朝早く墓から甦られたのです。そのことによって、人類の最大の悲しみである「死を永久に滅ぼされた」のです。

近年フランスで、イースターに驚きの人数が洗礼を受けるとニュースになっています。その数は教会も予想できなかったと言います。あなたも主の御復活を喜び楽しむ者となり、喜びにあふれた生涯を送る人となろうではありませんか。