10月5日礼拝「神様に喜ばれること」

詩篇講解NO147「神様に喜ばれること」147篇1~11節

                           仁井田義政牧師

今日の詩篇147篇2~3節を見ると、この詩篇は、イスラエルの歴史中の屈辱的なことの後に書かれたと思われます。それは、バビロンでの奴隷体験です。その反省の上に立って、この詩人は「神様に喜ばれることは何か」を記しています。

★「ハレルヤ!」という言葉でこの詩は始まっています。それは「主をほめたたえよ」という礼拝での賛美の招きです。賛美は「良い」「楽しい」「麗しい」と、主への賛美が勧められています。賛美する理由は「追い散らされた者を集め」「心の打ち砕かれた者を癒し」「彼らの傷を包んで下さる」という神様の救いの御業をほめたたえることです。

★4節には「追い散らされた者を集め」「心の打ち砕かれた者を癒し」「彼らの傷を包んで下さる」神様が記されています。さらに「その偉大さは全宇宙の星の数を数え、その全てに名を付けられる。」と記されます。「名を付ける」とは支配のことです。私達人間社会でも、新しい星や動植物が発見されると、まず名を付けます。それを分類し支配するためです。その偉大な神は6節で「心の貧しい者を支えて」下さり「悪者を地面に引き下ろす」方なのです。また「悪者」とは、自分の力を誇って神様を信じない人のことです。

★神様は全ての人の為に恵みの雨を降らせ「カラスの子」にまでも、食物を与えられると記されています。「カラスの子」とは、カラスが忌み嫌われた鳥だったからです。イエス様も、ルカ12章24節で「烏」のことを記しています。全ての星に名前を付け支配しておられる神様が、「烏の子」にさえ目を留め支えて下さっていると言うのです。ましてや人間であるあなたを見捨てておられるはずがないと、今日の詩篇は言っているのです。

★そして11~12節には、神様が嫌われることと喜ばれることが書いてあります。まず神様が嫌われることですが、神様は「馬の力」を喜ばれません。それは軍事力のことです。それでは神様のお喜びになられることは何でしょうか。それは「主をおそれ、主の恵みを待ち望む者を喜ばれる」のです。私達はそのような神様に感謝し、心からの祈りと賛美をささげましょう。

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