7月6日礼拝「主の恵みはとこしえまで」

詩篇講解NO136「主の恵みはとこしえまで」詩篇136篇23~26節    

                         仁井田義政牧師

 今日の詩篇は、繰り返しの多い詩です。文学的な見地からすれば、美しさの枠から外れてしまうかもしれません。それは、ひたすら同じ文の繰り返しだからです。しかしこの詩は別名を「大ハレル」と呼ばれています。この詩は、礼拝を通して苦しみの中にある人に希望と勇気を与えます。

★まず1~9節までは、天地万物の創造者であられる神様に感謝する内容です。1節では感謝の理由を「主はまことにいつくしみ深い」方と言っています。いつくしみとは、神様の愛のことです。第二の理由は、神様が天地万物の創造者だからです。水も太陽も星も、神様の恵みによって造られたのです。決して偶然ではありません。この創造に、神様の英知と恵みが溢れています。

★1~22節までは、エジプトからの救出を神様に感謝する内容です。詩人は、出エジプトからバビロン捕囚期後までの歴史に言及しています。11節には「イスラエルをエジプトの真ん中から連れ出された」と記されています。約束のカナンの地に入ってからも、先住民とのいざこざが長い間続きました。しかし「主の恵みはとこしえまで」と繰り返すのです。

★23~26節までは、詩人の苦しみの体験です。詩人は自分の現在のことを「卑しめられた」「敵から」「食物を」と、経済的なことまで記しています。しかし神様は、天地創造から今まで、恵み深いお方であったと感謝しているのです。それゆえに、自分が今どのような状況にあろうとも、主の恵みが私の上にとこしえにあると言っているのです。

★詩人には、聖書の神による天地創造から現在までの歴史観がありました。その歴史には、人間が存在していなかった天地創造の時から現在に至るまで、神様がどのようなことをして下さったかの歴史観があったのです。ですから「卑しめられた体験」と「つぶしてしまおう」とする体験と、「食べ物の不足」を体験しても、その現実の苦しみにさえも希望があると告白し「主の恵みはとこしえまで」と、この詩を締めくくるのです。私達もどんな苦境にあったとしても、「主の恵みはとこしえまで」と感謝し、力強く生きていきましょう。

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