6月22日礼拝「礼拝者に注がれる祝福」

詩篇講解NO134「礼拝者に注がれる祝福」詩篇134篇1~3節    

                         仁井田義政牧師

 今日の詩篇は非常に短い詩でありながら、重要な位置に置かれています。それは、120~134篇までの「都上りの歌」15篇の最後に位置しているからです。

★1節は、「主をほめたたえよ」との薦めで始まっています。長い旅をして神殿にたどり着き、数日間の礼拝の後、いよいよ帰らなければならない時が来たのです。その数日、主の宮での礼拝でどんなに祝福されたことか、その全ての感謝をこめて「全ての礼拝者、またとりなしの祈りをしてくれた祭司たち、主をほめよ」と喜びを現わしているのです。

★「夜ごとに、主の家で仕える者たちよ」は、祭司たちのとりなしの祈りのことです。夜は多くの人にとって眠らなければならない時です。しかし私達の眠っている時にも、眠らず祈って下さっている祭司たちがいるのです。

★また詩人は「祭司たちも、礼拝者たちも聖所に向かって手を上げ、主をほめたたえよ」と記します。「手を上げて」の礼拝とは、絶対的な信頼、心からの賛美を現わします。手を上げての賛美が、消極的であるはずがありません。牧師たちと信徒たちが手を上げ主をほめたたえる時、天地を造られた主から祝福が注がれるのです。

★夜ごとに主の家で仕える祭司たちを、新約聖書の光を通して見てみますと、大祭司と言われるイエス様の姿が浮かんできます。へブル7章24~25節と8章1節には、大祭司なるイエス様のことが記されています。現代の完全な聖所である天の聖所において、イエス様は神の右に座し、いつも私達の為に昼夜なく、とりなしてくださっているのです。私達が深い眠りについている時も、日々の生活の一寸先が見えない不安な時も、イエス様は私達の為に昼夜なく、とりなしの祈りをしてくださっているのです。

ですから私達は、主に信頼し、両手を上げ感謝して祈る時、今日の134篇3節の祝福が「天地を造られた主から来る」のです。私達は牧師たちも信徒たちも、ひとつになって手を上げて、賛美と感謝の礼拝をささげましょう。

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