5月4日礼拝「悪者の綱は断ち切られた」

詩篇講解NO129「悪者の綱は断ち切られた」129篇1~8節

                         仁井田義政牧師

この詩篇は、あまり取り上げられることが少ない詩篇です。私も詩篇の連続講解メッセージでなければ、取り上げなかったかもしれません。しかしこの詩篇には、この詩篇でなければならない素晴らしい神様の言葉に満ちているのです。

★この詩は巡礼の歌であり、礼拝で歌われたイスラエルの歴史の歌です。この詩にある「若いころから」という言葉は、イスラエルが国の形態がなかった時からと考えられます。イスラエルが国として成立するのは、出エジプト記の十戒の賦与の時からです。それは「法律なければ国はなし」だからです。

★1節と2節に「私を苦しめた」と言う言葉が、二度繰り返されています。それを「イスラエルは言え」と記されています。それは民族の体験として、その苦しみの過去を振り返り忘れないことです。そして「彼らは私に勝てなかった」と言っています。それは「主は正しく」あるからです。巡礼者は、礼拝でこの勝利者として高らかに歌っているのです。

★「シオンを憎む者」とは、真の神を礼拝する者を憎む者のことです。そのような敵は「屋根の上の草」のようで、直ぐ枯れると記されています。屋根の上の草は、実を結ぶことがありません。そのような草を束にし、収穫しようとはしないのです。この詩のキーワードは、4節の「主は正しくあられ、悪者の綱を断ち切られた」という言葉にあります。

★私達にも、イスラエルのように忌まわしい過去の体験があるのではないでしょうか。「あの事が私を苦しめた。あの事が私の現在まで影響を与えている」等ということです。家族との死別。両親の離婚。しつけの厳しすぎ。しつけの甘すぎ。学校でのいじめ。肉体的な病気。精神的な病気。その他にもいろいろな事があるでしょう。

★今も、あなたを縛り付け生きる力を失わせていることはないでしょうか。129篇の詩人は、それを自分史にして「悪者の綱を断ち切られた」と賛美しているのです。イエス様は、私達の過去一切の悪の網目を断ち切るために、来て下さったのです。そのことを信じて、新しく生き始めましょう。

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