(イースター)「主はよみがえられた」マタイ27章62節~28章6節
仁井田義政牧師
みなさん、イースターおめでとうございます。私達の信仰は、キリストの復活にかかっています。キリスト教の信仰を覆すためには、イエス様の骨の一片でも発見されれば良いのです。「もしキリストがよみがえられなかったならば、あなたがたの信仰は虚しい」(Ⅰコリント15:17)と聖書に記されています。かつてキリスト教への迫害者だったパウロが書いているのです。
★「復活」の言葉を最初に口にしたのは、キリストを殺害した側の祭司長やパリサイ人達でした。マタイ27章63節に「閣下、あの人を騙す男がまだ生きていた時に『自分は3日の後によみがえる』と言っていたのを思い出しました」とローマの総督ピラトに言って、墓を守る兵を出して貰いました。確かにイエス様は、何度もその事を弟子達に話していたのです。(マタイ16:21)
★弟子達は、キリストの裁判後の鞭打ちや、ローマの兵隊の暴力、そして十字架を見て、心底失望してしまっていました。イエス様は絶対に強い方だと思っていたのに、あまりに弱く、成す術もない姿に絶望してしまいました。しかしそのイエス様の姿こそ、強力な人類救済の意志だったのです。(マタイ16:21~23)それこそが、誰にも賞賛されないみじめな十字架に身を捧げるという強い意志を、人類史の中に記したのです。
★マタイ28章には、早朝に女性達がイエス様の墓に向かった事が記されています。この女性達も、キリストの甦りなどと言う希望は全くありませんでした。金曜日に死体に塗る油が足りなかったのを見ていたので、油を塗りに行ったのでした。
★女性達は、金曜日にイエス様の葬られた場所も見て知っていました。そして兵隊達が、自分達を大目に見てくれると思っていたかも知れません。そこで思いもよらず、甦りの主に会うのです。「女たちは恐ろしくはあったが大喜びで」イエス様のご復活に感動したのです。最初に、キリスト教会を潰すにはキリストの骨の一片でも見つかれば良いのだと言いましたが、二千年経っても見つかってはいません。そのはずです。イエス様は甦られたのです。私達は、主のご復活を心より感謝し、喜びお祝いしましょう。
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