(受難週)「弟子達もそれを知らなかった」ヨハネ12章12~16節
仁井田義政牧師
今日は、受難週の最初の日「棕櫚の日曜日」です。棕櫚の葉は、古代のギリシャやローマ社会で、王様や勝利者を迎える時に用いたものでした。彼らは、熱狂的にイエス様を迎えました。しかし数日間で、彼らは「イエスを殺せ」という熱狂的反対者に変わってしまったのです。それは群衆が求めていたことと、イエス様が求めておられたことには、大きなずれがあったからでした。
★群衆がひたすら求めていたものは、ローマからの解放でした。ローマが自分達の国を占領していることが面白くなかったのです。人々はローマの重税に苦しめられていました。弟子のマタイの前職業は、その取税人だったのです。イエス様がイスラエルの王となってくれれば、神の子だから絶対にローマに勝つと信じたのです。「緑濃き棕櫚の葉かざす感激を。ああ栄冠は君に輝く」(高校野球のテーマ曲の歌詞)のはずでした。
★しかしイエス様は、ローマからの解放の為に来られたのではなかったので、王としての軍事的な行動を何もされませんでした。エルサレムに入ってからのイエス様は、「ローマ皇帝への税金はローマ皇帝へ。神様へのものは神様に返しなさい」(マタイ22:18-22)と言われました。それを聞いて、彼らは「イエスを残して立ち去った」と記されています。
★イエス様は、人々を「罪から救う救い主」としてエルサレムに来られたのです。もちろん政治や経済はどうでも良いと言うのではありません。「まず神の国と神の義を求めよ。そうすれば全てが与えられる」(マタイ6:31-34)と言われるのです。イエス様は、私達人間が「神様を信じない」という自己中心の罪の支配から私達を救うために来て下さったのです。それなのに、英雄として迎えようとしたのです。一般の人々ならまだしも「弟子達さえも、イエス様が子ロバに乗って来られた意味が分からなかった」(ヨハネ12:16)のです。あなたも、イエス様を追い出し捨ててしまってはいませんか。もしそうなら、悔い改めてイエス様を正しくお迎えしましょう。
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