詩篇講解(NO.125)「平和があるように」125篇1~5節
仁井田義政 牧師
今日の御言の最後には「平和(シャローム)があるように」とあります。この言葉は、今世界中で最も必要な言葉ではないでしょうか。二十世紀は第一次世界大戦、第二次世界大戦と戦争の世紀でした。そうして世界中が「二十一世紀こそ、戦争がない時代に」と、25年前に出発したはずです。
★1節に「主に信頼する人はシオンの山のようだ」とあります。シオン(エルサレム)の山と結びつけられているのは、信仰と関係しているからです。不安は心の中に起こります。しかし主に信頼する者は揺るぐことがないと記されています。不安がないので心が平安であるという意味です。
★それは、エルサレムが山々に囲まれているように、主が御民をとこしえまでも守られるというイメージでした。そのように「主は御民をとこしえまでも囲まれる」と詩人は記しています。しかしイスラエルの歴史は、不信仰ゆえに国が破れることを体験することになるのです。それはエルサレムでのキリスト殺害によって、A.D.70年にローマ軍が破壊してしまうのです。
★主の守りは永遠です。「しかし曲がった道にそれる者を連れ去られる」と記されています。どこからどこへ連れ去るのでしょうか。キリスト殺害後、イスラエル民族は、二千年間エルサレムから連れ去られ、今に至るも平和から遠いのです。
★この巡礼者は、エルサレムの町が神殿を中心に山々に囲まれているのを見ました。そして礼拝者の私達も、神様によってあのように守られているのだとの信仰的な洞察を得たのです。信仰者であって神様の守りに囲まれている存在であっても、曲がった道へそれる時に、つまり神様に対する信仰から曲がってしまう時に、神様の守りは失われてしまうのです。ホサナ「主よ、いま救ってください」とイエス様をエルサレムに迎えた人々なのに、一週間もたたないうちに「私達に、お前はいらない」と、キリストを十字架につけ、殺してしまったように、心が曲がり不信仰になる時、平和を失ったのです。
心を真っ直ぐに信仰へと向けましょう。そうすれば神様は、あなたをあらゆる困難から守って下さいます。
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