詩篇講解(NO.119)「御言の戸が開くと」119篇130節
仁井田義政 牧師
今日の御言の詩篇119篇は、詩篇の中で最も長い詩篇です。そのとてつもなく長い詩篇を、ギュっと凝縮してお話ししたいと思います。読む箇所も130節だけにし、この詩篇の言おうとしている所をお話ししたいと思います。
★この詩篇は「幸いなことよ」という感嘆文で始まっています。幸いなのは「主の御教えによって歩む人々です。」と言っています。別の言い方をすれば、聖書の御言通りに生きる人は何と幸いなことでしょうと言う意味です。しかし、御言を実行して生きるということは、決して簡単なことではではありません。人間には、それを妨げる欲望があるからです。
★9節には、若い人のことが出てきます。若い人にはいろいろな欲望があります。芸能界のスキャンダルが後をたちません。しかし若くない人にも欲望はあります。127節の「金や純金」の魅力です。その為に銀行の内部でさえ盗みが起るのです。またこの世には「御言に信頼して生きる者達を迫害する」ことさえあります。大切なのは決して御言を捨てないことです。
★人生には、話したような問題と、それ以外の何百もの問題と失敗と苦しみがあります。その失敗や苦しみを体験したことも、御言に触れるきっかけとなり、71~72節にあるように幸せのきっかけとなります。
★130節の「あなたの御言の戸が開くと、光が差し込み、わきまえのない者に悟りを与えます」との御言ですが、「わきまえのない者」とは、他の訳では「浅はかな者」「無知な者」「無学な者」と訳されています。私がこの130節に強く感動したのは、神学生1年の1学期が終わった時でした。その成績不振で完全に自信を喪失し、チャペルで祈っていた時です。この御言が突然私の心に飛び込んできました。この御言によって、俄然聖書研究の熱意が燃え上がりました。聖書だけではなく、一般哲学、宗教哲学、教育学に心が燃え上がりました。まさに御言が私を救い、助け、立ち上がらせたのです。あなたも今、何らかの悩みの中にあるなら御言の戸を開きましょう。そこから光が差して来るのです。
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