詩篇講解(NO.116)「私は主を愛する」116篇1~8節
仁井田義政 牧師
皆さん、あけましておめでとうございます。今年最初の日曜礼拝です。皆さんにとって、2025年が素晴らしい年となりますようお祈り致します。今日のメッセージは、新年初めの礼拝にふさわしい詩篇116篇の御言です。
★詩篇116篇1節は「私は主を愛する」で始まっています。この御言ほど、新年にふさわしい御言はありません。詩人は今、途轍もない困難に遭っています。3節は、死を感じさせるほどの病気なのか、敵との戦いなのか、経済的なことなのか、そのいずれかでしょう。
★詩人は、その中で「主は情け深く、憐れみ深い」(5節)と記しました。どのように「情け深く、憐れみ深い」のでしょうか。それは6節の「主はわきまえのない者を守られる」と記されています。信仰の完全な人の祈りだけが聞かれるのではありません。たとえ不完全であっても、祈る者の祈りを主は聞いて下さるのです。そこに、主を信じる者の「全き憩い」(7節)があるのです。
★その神様に「私は主を愛する」(1節)とは、どのようにして愛すると言っているのでしょうか。それは17節の「感謝のいけにえ」を捧げることです。この詩篇で言われている「感謝のいけにえ」とは、公けの礼拝での賛美であり、感謝です。
★あなたは新しい年に何をすると決意されましたか。もう決められた方も、まだ決めておられない方も、はっきりとした目標を設定しましょう。それは今日の御言にある「私は主を愛する」と言う決意であり、「私は、自分の誓を主に果たす」(18節)という信仰の実践です。それ以外の事は、「これらのものはすべて、異邦人が切に求めているものです。」(マタイ6:32~33)とイエス様が教えておられます。第一の事を第一にする時に、全てが添えて与えられるのです。
2025年の今年は、私達の教会にとっても開拓から50年という記念の年です。私達は主を愛する年、主を愛することを実践する年として、団結して前進しましょう。
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