詩篇講解(NO.115)「主よ、栄光はあなたの御名に」115篇1節~18節
仁井田義政 牧師
今日は、2024年最後の日曜礼拝です。この詩篇も、イエス様の最後の晩餐において読まれました。114篇、115篇、116篇が読み終わると、最後の杯が飲み干されます。そして117篇の詩篇が読まれ「過越し祭」が終わるのです。私達は、2024年の最後にイエス様とひとつになりましょう。
★1節に「私達にではなく、栄光をあなたの御名のために」と記されています。これが、クリスチャンの生き方なのです。しかし、私達人間はみんな手柄や良き行いを、自分の名誉や栄光にしてしまいやすいのです。「栄光を神の御名のために」とあるように、全てを神様にお返し致しましょう。
★しかし弟子達は、イエス様と共に3年6カ月もいたのに、そのことが全く分かりませんでした。彼らは最後の晩餐で「イエス様が地上の王となられた時には「私を国の№2、№3にして下さい」と頼みました。彼等の中には、神の栄光など二の次という生き方が見えるのです。ですから数時間後、イエス様が捕えられた時、彼らはイエス様を捨てて逃げ去ったのです。
★2~8節は、第一義的には偶像礼拝者達のことに言及しています。しかし、第二義的に、最後の晩餐に読まれた詩篇としてみる時に、弟子達の信仰姿勢と相まって聞こえてくるのです。それは、3年6カ月もイエス様と一緒にいながら、なお権力と富を求め偶像化している不完全な弟子達の信仰の姿です。
★9節からの御言には「主に信頼せよ」と繰り返し記されています。弟子達は、漁師から巨大国の大臣に、もう直ぐなれるのだと思っていました。しかしこの後、ゲッセマネの園で形勢は逆転し、イエス様が捕えられ、弟子達はエス様を見捨てて逃げ去ったのです。
★15節にあるように、私達の神は「天地を造られた神」であられます。神様に失敗などひとつもありません。失敗に見えた十字架さえも、最大の成功となったのです。ですから最後の18節にあるように、私達も「今よりとこしえまで主をほめたたえよう」ではありませんか。私達も今年最後の礼拝を「ハレルヤ」と感謝して終わりましょう。
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