10月20日礼拝「この苦しみの時に」

詩篇講解NO.107「この苦しみの時に」詩篇107篇1~9節

                  仁井田義政 牧師

この詩は、3節に記されているように、礼拝者が礼拝のために四方の国々から集まって来た時の賛美です。その中には、色々な職業や生活状況の中にある人達もいました。それは、現代の教会のようでもあります。集まった人達には、共通した体験がありました。それは、神様による「苦しみからの救い」でした。

★ある人は「荒野や荒れ地をさまよって」いたと言います。「さまよう」は文字通りではなく、目的がなく虚しさを現わしています。ある人は「闇と死の陰に座す者」だったと記されています。死に向かって屈服している姿です。ある人は「病気の為に、食欲を失い、死」の一歩手前にまで来ていたのです。またある人は、海で嵐に遭って「船が天に上り、深みに下った」のです。そして「彼らのたましいは溶け去った」と絶望的だったことが記されています。

★彼らは、その「苦しみの時に祈ると、主は苦悩から彼らを救われた」と言っています。それが礼拝者の共通体験だったのです。人の悩みは、人の数ほど種類があることでしょう。四方の国々に住んでいた人々は、習慣や文化の違いでなおさらのことでしょう。しかし「苦しみの時に、主に叫ぶと、主は彼らを苦悩から救い出された」のです。ですから「主の恵みと、奇しいわざを主に感謝」するという礼拝に集まって、ひとつ心で礼拝することができるのです。

人生は、必ずしも勝者が勝者であり続けることは出来ません。41節に「しかし」と記されている逆転が起こるのです。主に祈る人は、その逆転を体験することが出来ます。「知恵のある者は誰か」と詩篇の作者はそう問うています。そして、その人は「主の恵みを悟る者だ」と結論しています。

★今も、多くの人が多くの悩みを持って、苦しみつつ生きています。私達は、その悩みから解放される道を知っています。それを体験しました。その体験とは「苦しみの時に、主に叫ぶと、主は苦悩から救ってくださった」という体験です。あなたも、諦めて絶望的な人生を送っていてはなりません。あなたを助け、あなたを救って下さる神様を信じて生きましょう。

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