詩篇講解NO.104「ハレル、ヤハー」詩篇104篇24~35節
仁井田義政牧師
この詩は、103篇と同じように「我が魂よ。主をほめたたえよ」で始まり「我が魂よ。主をほめたたえよ」で終わっています。それは、自分の心への語り掛けであり、奨めなのです。104篇は、それに「ハレルヤ」が加えられています。どうしてこのように、自分自身の心に主をほめたたえることを奨めているのでしょうか。
★祈祷会では、ちょうど創世記の1章からお話をしています。創世記1章の壮大なスケールの天地創造には、現代科学も圧倒される記事が記されています。この詩篇のほとんどが、神様による天地万物の創造と、その知恵が賛美されています。
★その通りです。私が動植物を大好きなのは、その中に神様の知恵があふれて見えるからです。赤カンガルーの大人は90キロにもなります。しかしその赤ちゃんは、妊娠から30日で生まれる為に、超未熟児で生まれます。その赤ちゃんの体長は2センチ、体重は1グラム程です。その超未熟児で生まれた子が、生まれると直ぐにお母さんの袋を目指して、自分でお母さんの体をよじ登って、お母さんの袋に入るのです。その袋の中にお母さんのオッパイがあると誰が教えたのでしょう。植物の世界にも、そのような事例が数多くあります。いま私はポインセチアを育てていますが、ポインセチアには脳がないのに季節を認知して花を咲かせるのです。
★詩人は御言で「生きている限り、いのちのある限り」と記しています。詩人は、自然の中の神様の力と知恵に感動し、感極まるように「私は主をほめたたえる」と言っています。そして最後には、もう一度「我が魂よ。主をほめたたえよ。ハレルヤ。」と言っています。
★日本の詩文学の中にも、自然そのものを賛美している詩は数多くあります。しかし聖書は、ただ単に自然の素晴らしさを賛美しているのではありません。自然を造り、自然を神秘的な御業で支配しておられる神様を賛美しているのです。イエス様も、マタイ6章で「空の鳥を見なさい。野の花を見なさい」と弟子達に教えられました。私達も、もう一度「我が魂よ。主をほめよ。ハレルヤ。」と、自分の魂に言い聞かせましょう。
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