詩篇講解NO93「主は王であられる」詩篇93篇1~5節
仁井田義政牧師
主は王であられるか否かが、人類歴史の永遠のテーマです。人間の歴史は、人間を王としようとするものでした。サウル王以前、イスラエルの歴史に王はいませんでした。神様は、人間が王になることを喜ばれないのです。
★しかしイスラエルの民は「外国のように人間の王が欲しいと騒ぎ立てました」そのことは、第一サムエル記8章1~12節に記されています。その結果次々に王が立てられました。三代目のソロモンは、外国に倣って兵器として軍馬を導入しました。馬屋四千と騎兵一万二千という数です。そのことは第第二歴代誌9章25節に記されています。彼は、神様よりも軍事力に頼ったのです。彼は王国を拡大し、モーセの教え(申命記の17章16~17節)を破り、多くの馬と700人の王妃と300人のそばめ持ちました。その女性の多くは、外国人でした。その結果、彼女らの持ってきた外国の宗教に染まってしまいました。そのことは第一列王記11章1~8節に記されています。
★ソロモンが死んだ後に王国は分裂し、やがて両方とも壊滅してしまうのです。キリストが来られる前の400年間は、最悪の時代で、預言者さえも存在しませんでした。その暗黒時代の終わりに、王なるイエス様がお生まれになったのです。その時、東方の博士達が長い旅をしてエルサレムに着き、「ユダヤ人の王としてお生まれになった方を・・・拝みに来ました」と言いました。そのことはマタイ2章1~2節に記されています。
★今日の詩篇には「王はみいつをまとっておられます」と記されています。「みいつ」とは、威厳のことです。ヨハネ18章37節にローマの総督ピラトがイエス様に「それではあなたは王なのですか」と問うたシーンがあります。イエス様はハッキリと「私が王である」と言われました。
★詩篇の93篇3~4節に川が出てきます。バビロンにはチグリス、ユーフラテス川が、南にはエジプトのナイル川が流れています。また4節の「海の力強い波」は、海を渡ってくるローマのことかもしれません。しかし世界情勢がどうあろうとも、王の王であられる神様の威厳は微動たりとしないのです。人間を王としようとする世の中の流れに、クリスチャンは騙されてはなりません。イエス様を王の王として、我が家にしっかりとお迎えしましょう。
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