詩篇講解NO90「人の子らよ、帰れ」90篇1~12節
仁井田義政 牧師
詩篇の講解メッセージも、第四巻の90篇に入りました。あと60回話しますと、詩篇の全てをお話しすることになります。詩篇は詩文であるだけに、作者は大きなテーマも、言葉を短縮して記しています。90篇の内容も「人間の死とは何か。人間の手のわざとは何か」を、わずかな文字数でシンプルに記しています。それだけにストレートで、読む者の心に刺さるのです。
★私達人間は、永遠の神の前に草のような存在だと、3節~12節で述べています。人間は、数百年も生きることのある木でもなく、草のような存在なのです。草は、春に芽を出しても秋には枯れてしまう短い命です。創世記6章3節にあるように、人間が長生きしても120歳を超えるとニュースになる程難しいのです。その一生は「労苦と災い」に満ちていると言っています。
★詩人は「自分の日を数えることを教え、手のわざを確かなものにしてください」と12~17節の中に記しています。「自分の日」とは、平均寿命から見て、あと何年かのことです。多くの人は死を考えないようにして生きています。17節の「手のわざ」とは、この人生で成して来た行ないのことです。「確かなものにしてください」は、私達が死んでも神様の前に価値あるものと認められる行いのことです。
★私達人間は、生まれながらにして神様と断絶した状態にあります。多くの人は、自分がどのような存在なのか、何をこの人生で成すべきなのか、どこに向かっているのかを見失ってしまっています。それは、7~9節にあるように「神の怒り」の中に生きている証拠なのです。
★ですから人間は、誰でも神様によって、神様の世界に生まれ直さなければなりません。それが新生と言われるものです。神様のもとを離れた人間の姿を、イエス様は「放蕩息子」の譬えによって教えられました。その人は父親の家を飛び出して、餓死寸前にまでなったのです。その時「はっと我に返り」父親のもとへ帰ろうと決断をしました。今日の詩篇にも「人の子らよ、帰れ」という神様の声があります。それは、あなたへの神様の呼び掛けなのです。あなたも神様のもとに帰り、新しい人となりましょう。
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