1月21日礼拝「惨状の中の祈り」

詩篇講解NO79「惨状の中の祈り」詩篇79篇1~13節   仁井田義政牧師

 今日の詩篇は、大変重苦しい内容です。それは、今から約2500年前にイスラエルの民がバビロンに奴隷として連れていかれたことが背景になっているからと考えられています。戦争の光景は、今も昔も破壊された町と、軽視された人の命の惨状です。完全に破壊された虚無的な廃墟の中で、今日の詩人は「嘆きの詩」を記しています。

★神の都エルサレムは、必ず神が守って下さる!神殿は神の家だから絶対に破壊はされない!と人々は考えていました。しかし、バビロン軍によって瞬く間に廃墟とされ、死体さえも埋葬されることなく、空の鳥、野の獣の食い荒らすままに任せる状態でした。その結果、敵達は「お前たちの神様はどこにいるのか」と嘲ったのです。

★このような惨状の原因は、先祖たちと私達の不信仰にあると詩人は認めて祈っています。(5-8節)詩人は、エルサレム壊滅、神殿壊滅、人命軽視の原因を、神様の無力さには置きませんでした。「むしろ力の神の怒り」と理解したのです。神様は何度も預言者を起こして「不信仰の罪を悔い改めるように、このままではエルサレムの町も神殿も滅ぼされてしまう」と語りかけました。しかし人々は、その忠告を軽んじました。

★詩人は、その「先祖と自分達の罪」を認めました。しかし「私達の救いの神よ。御名の栄光のために、私達を助けて下さい」(9節)と祈りました。これは、私達にとっても非常に大切な部分です。私達も、全てを失ったかのような惨状を体験することがあるからです。しかもその惨状の中で、神様の偉大な力に触れることがあるからです。

★マルコの福音書4章35~41節の中には、ガリラヤ湖で嵐に遭った弟子達のことが記されています。「ところがイエスだけは艫(とも)の方で枕をして眠っておられた」と記されています。弟子達に、イエス様に対する不満が起こりました。イエス様が「さあ、向こう岸に渡ろう」と言われたことを、弟子達は忘れてしまっていたのです。その結果、波に極限の不安を感じたのです。イエス様は、そのような弟子達の不信仰にも「風と波を静められ」ました。彼らを愛しておられたのです。

私達も、どのような状況の中でも、神様の愛を信じて生活しましょう。

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