11月5日礼拝「理想的な王」

詩篇講解NO72「理想的な王」72篇1~4節

                    仁井田義政 牧師

 今日の72篇には、「ソロモンによる」と記されています。私は個人的にはダビデの人生最後の詩ではないかと思っています。この詩を最後に、ダビデの詩篇は終わっています。その内容は、理想的な王とはどのような王かを教えています。

★はじめ神様は、王制に反対でした。兵役等で民を苦しめるからです。しかし人々は、「私達にも外国のように王様が欲しい」と叫びました。神様は不本意ながら、王になる人に聖霊の象徴の油を注いで王としたのです。

★理想的な王は、「義」もって国民を治めると記されています。そのためにイスラエルには十戒がありました。しかしサウル王は嫉妬、ダビデ王はバテシェバとの罪、ソロモン王は偶像礼拝者となりました。誰も王としての「義」を充たせなかったのです。

★理想的な王は、「弱い人や貧しい人を助け、虐げる者を打ち砕く者でなければならない」と記されています。しかし王様の多くは、貧しい者の意見には耳を貸さず、金持ちや権力者の意見を重要視することが多いのです。また王様は、「助けを求める貧しい人や、助ける者がいない人を助ける」人でなければならないとも記されています。

★理想的な王は、「全ての国々でほめたたえられ」「その栄光は地に満ちわたる」(19節)と記されています。はたして今までの歴史でその条件にすべて当てはまる王様や、大統領、総理大臣など一人もいませんでした。

★理想的王の条件を充たす方は、キリストお一人です。キリストとはヘブル語でメシヤと言い、その意味は「油注がれた者」なのです。キリストだけが、聖書に書かれている全ての王の条件を充たし、実行された理想的な王なのです。 ★イエス様こそ、この世に軍事国家を作らず、貧しい人や頼る者のない人に救いの手を伸べてくださいました。しかしそれは、弟子達や人々の目には「理想の王」には見えませんでした。人々は「イエスを十字架につけよ」と叫び、弟子のユダやペテロまでもがイエス様を裏切ったのです。私達はイエス様を、霊的な目でしっかりと見て、神様から「油注がれた」理想的な王、まさに王の王、主の主とし、イエス様を信じ礼拝する者となりましょう。

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