詩篇講解NO58「人生の暗闇に暁を呼び込む」57篇1~11節
仁井田義政 牧師
今日の御言も、表題に「ダビデがサウル王から逃れて洞窟にいた時に」と記されています。ダビデにとって、神様の救いが強烈な体験となり、生涯にわたる信仰体験となったのです。このような生涯を貫くような体験は、信仰を強めます。
★洞窟のような体験とは何でしょうか。洞窟は、入り口からしか光が入って来ません。その入り口に人が立つと、大きく見えるのです。そして入り口に立ちふさがれると、もはや逃げ場がない状態になります。逃げ場のない体験それが洞窟体験であると言えるでしょう。
★その中で、ダビデは「滅びが過ぎ去るまで神の御翼の陰に身を避ける」(1節)しかありませんでした。洞窟の中にあっても、信仰者ダビデは「いと高き方、神に呼ばわります」(2節)と言っています。いと高きはこれ以上ない方の意であり、「呼ばわる」は祈りのことです。ダビデは「ライオンの穴に入れられているようだ」と言っています。ライオンは、情け容赦なく獲物をむさぼり食うのです。何一つ守るものがない状態、声に出して祈れない状態です。しかし神様は「天から救いを送ってくださった」(3節)のです。「神は恵みとまこととを送られるのです」と3節後半に記されています。神様の「恵みとまこと」は、ヨハネ1章14節にも出てきます。
★真っ暗な洞窟の中で、ダビデは「私の心は揺るぎません」と2回繰り返しています。それは絶対的確信です。ダビデはついに「私は歌い、ほめ歌を歌います」と神様に感謝しています。そして「私は暁を呼び起こしたい」と言いました。それは朝日の光を待つ姿です。どんなに暗い夜にも朝が来ることを意味し、真っ暗な中であっても希望を失わないことを意味しています。
★ダビデは、9~11節の中で、神様を心からほめたたえています。神様が、必ず洞窟の真っ暗な中から救い出してくださると確信しているからです。神様は、神様を信じ信頼する者の祈りを聞いて下さいます。その人が真っ暗な洞窟に追い込まれていようとも、朝日のように希望を与えてくださるのです。
あなたは、今、光の見えない洞窟のような悩みの中にいませんか。もしそうなら、主に祈って朝の光(暁)をあなたの人生に呼び込みましょう。
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