5月7日礼拝「苦難に強い人になる」

詩篇講解NO54「苦難に強い人になる」詩篇54篇1~7節

 仁井田義政牧師

 ダビデが荒野の逃亡生活という苦難の中で記したこの詩篇は、私達が苦難にあっている時に、力強い信仰のヒントを与えてくれます。私達の人生にも、様々な苦難が起こり、私達を取り囲みます。そのような時に、苦難に負けない強いクリスチャンになりたいと思います。

★ダビデは、3節でサウル王もジフの人達も「自分の前に神を置いていない人」と言っています。それは、神様がどのように思われるかではなく、常に自分の考えを優先する人のことです。サウル王は、ダビデに対して嫉妬し、恐れを優先しました。

★それに対して、ダビデは自分と敵の間にいつも神様を置く人でした。ダビデはどんな時にも、怒りや恐れに自分を任せることはありませんでした。ダビデは、どんな困難な時も神様を前に置いて祈りました。祈りは、神様を前に置くことなのです。1~3節は、そのようなダビデの祈りです。ダビデは、逃亡中に2回程サウル王の命をとるチャンスがありましたが、それをしませんでした。神様がそれをお喜びにならないと思ったからです。神様にその裁きをゆだねたのです。

★ダビデは、祈りの中で強い確信を持ちました。4節の「まことに」との新改訳聖書の訳は、正確さに欠けると思われます。口語訳も共同訳も「見よ」と訳しています。現状がまだ好転していない時に、ダビデは祈りの中で勝利の確信を得たのです。祈りによって恐れから解放されたのです。ですから、最後の節に「神は全ての苦難から私を救い出し」と記されているのです。それに続いて「私の目が私の敵をながめるようになったからです」と記されています。敵を脅威に見るのではなく、問題から抜け出て下に見ているのです。

★私達は大きな苦難にあった時に、なぜ悩むのでしょうか。敵である問題をとてつもなく巨大化して見るからです。ロマ書8章31節に「神が私達の味方であるなら、だれが私達に敵対できるでしょう」とあります。苦難にあった時、苦難と自分が一対一になってはなりません。その間に神様に入って頂くのです。そのようにすることによって、ダビデのように苦難を見下ろすことのできる人となるのです。私達も苦難に強い人になりましょう。

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