復活祭後の主日礼拝「人を恐れてはならない」

復活祭後の主日礼拝「人を恐れてはならない」マタイ10章28~33節

 仁井田義政 牧師

受難週、復活祭、復活祭後の本日の三回ほど、詩篇の連続メッセージを中断しております。来週からはまた詩篇へ戻ります。さて今日の御言を復活祭後のメッセージとして選んだ理由は、イエス様の十字架とご復活に見る勇敢な生き方に感動したからです。人からどんな評価を受けようとも恐れない、揺るぐことのない生き方という意味での勇敢さです。

★イエス様は弱い人たちばかりを相手にし、罪の問題「神様との関係」ばかりを教えて回られました。人々は、そのようなイエス様に失望しました。人々は、イエス様に戦争で手柄を立てる人のような勇敢さを求めていたのです。イエス様の十字架の上には、ローマ総督ピラトの命令で「ヘブル語・ラテン語・ギリシャ語」で罪状が書いてありました。ローマの総督ピラトも「十字架につけよ」と叫ぶ大衆を恐れて、無罪と知りつつイエス様を処刑しました。

★しかしイエス様は、人の目を気にされませんでした。もしイエス様が人々の目を恐れる方であれば、「私はイスラエル人の王となります」と言って大衆の力を手中に収めることが出来たのです。しかしイエス様は、人の目を恐れるような御方ではありませんでした。神様を裏切って命を永らえようとはされませんでした。人の目よりも、神様の目を畏れ敬う御方だったのです。

★イエス様は「体を殺しても、魂を殺せない者を恐れてはなりません・・魂も体も、ともにゲヘナで殺すことのできる方を恐れなさい」と教えられました。内村鑑三は、第一高等中学校の教師だった時(明治24年)1月9日に教育勅語に敬礼をしなかったという事で、教師の職を追われました。イエス様は「魂を殺すことができないものを恐れてはなりません」と言われました。

★また「人の前で、私を認める者は、私も天におられる父の前で、その人を認めます。しかし人の前で私を知らないというような者なら、わたしも天の父の前で、そんな者は知らないといいます」と私達に迫られます。人々の前で、私達は信仰に誇りをもって生きているでしょうか。「私はクリスチャンです」と証言して生きているでしょうか。それとも人々の目や、批判を恐れて、クリスチャンであることを隠して生きてはいないでしょうか。人を恐れず「私はクリスチャンです」と、キリストを表わしていきましょう

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