受難週「わが神、わが神。なぜ私を捨てられたのですか」

受難週「わが神、わが神。なぜ私を捨てられたのですか」

マルコ15章33~34節  仁井田義政 牧師

今日は受難週の始まりの日です。マルコによる福音書は、福音書の中で最初に書かれた原福音書と言われています。今日は、その15章33節にあるイエス様の十字架上の御言を受難週礼拝のメッセージとしてお話し致します。

★そこには、12時から3時までの間「全地が暗くなった」と記されています。キリストの十字架を中心に、その地域一帯が暗くなったのです。その時の雲は、分厚く不気味でした。その不気味な暗闇は、父なる神と御子との断絶を意味しています。3時間にもわたる暗闇。その時、キリストは「わが神、わが神。どうして私をお見捨てになったのですか」と叫ばれたのです。

★キリストが十字架につけられた時は、イスラエルの最大の「過ぎ越しの祭」でした。過ぎ越しとは、イスラエル人達がエジプトで奴隷であった時の羊の犠牲に由来します。キリストは罪がなかったけれども、羊のように人の罪の為に犠牲となってくださったのです。

★キリストは、人々の罪のために身代わりとなって十字架につかれたのに、そこにいる人々にはそれが分かりませんでした。人々との断絶があったのです。さらに12時から午後3時までは、神との断絶が記されています。人と神とから捨てられた断絶の狭間で、キリストが叫ばれたのが「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という言葉です。

★確かにこの言葉は、詩篇22篇にそのまま出てきます。多くの学者は、この時にイエス様の心の中には詩篇22篇があって、それを朗読するように叫んだのだと説明していますが、今日の御言葉に出てくる「大声」といい、「叫ばれた」という言葉は、朗読したとは違うのです。しかも死が近づき、肉体が弱り、声も出にくくなるそのような時に、なぜ大声で叫ばなければならなかったのかということです。

★それは罪を持ったままで死ぬならば、私達が暗闇である地獄へと捨てられるということです。これは、私達が死後に叫ばなければならない言葉でした。聖霊が私達にそのことを示して下さいます。聖霊は私達が拒まなければ、私達に働かれます。イエス様の十字架上の「わが神、わが神。どうして私をお見捨てになられるのですか」の御苦しみは、私の罪の為であったと深く知り、イエス様に感謝しましょう。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です